
今日は「動詞」について20数語の基礎的なものを見ていきましょう。

「言ふ」とか「食ふ」とか、そういうやつだな。

「言ふ」「食ふ」は、ストレートに意味がわかるので(現代語との相違がないので)、この「基礎語」には入れていません。
古文単語で覚える必要があるものは、「現代語との相違があるもの」「現代語では存在しないもの」です。

まずは、この「基礎語」を習得しておこう!
動詞(基礎語)22
あきらむ (明らむ)
①(心を)明るくする・晴れやかにする
②(物事の事情を)明らかにする
この「あきらむ」から、現代語の「諦める」が派生していったと言われます。物事が明らかになるからこそ、「断念する」ことにつながっていくのですね。
ただし、中古や中世では、「断念する」の意味はありません。①か②の意味で訳しましょう。
「あきらむ」は下二段活用なので、たとえば下に「ず」がつくと、「あきらめず」になります。下に「て」がつくと、「あきらめて」になります。これを「諦めない」「諦めて」と訳すのは避けましょう。
あく (飽く)
①満足する (プラスの意味)
②うんざりする (マイナスの意味)
「心が満ち足り、これ以上はいらない」という意味です。
もともとは①の意味ですが、その意味合いが進みすぎると、②の意味になることがあります。
打消しの「ず」がついて「あかず」の形になることが多いです。その場合、
①不満足だ (マイナスの意味)
②飽きることなく (プラスの意味)
になります。
どちらの意味になるかは文脈判断です。
あくがる (憧る)
①さまよい歩く
②上の空になる(魂が体から抜け出す)
「心が体から離れて、不安定な状態になる」ことを意味します。
「あくがる」の「あく」は「場所」を意味する古いことばとされています。
「かる」は「離る」です。
つまり、「本来いるべき場所から心が離れる状態」なのです。
ありく (歩く)
①動き回る(歩き回る)
②~してまわる
「ありく」の場合は、人間の脚とは限りません。
「船でありく」などのように使うこともあります。
徒歩でまっすぐ進むことは、「あゆむ(歩む)」のほうを使うことが多いです。
うつろふ (移ろふ)
①変わっていく
②色づく
③色あせる
動詞「うつる」に、上代の助動詞「ふ」がついて、やがて一語化したものです。
助動詞「ふ」は〈反復・継続〉を意味しました。ここでも変化が続いていく様子を意味しています。
①②③どの意味でもよく使いますが、和歌で用いられると、相手から自分への恋心があせていったというニュアンスで、③の意味になることが多くなります。
おこたる (怠る)
①怠ける
②病気がよくなる
「進行していた物事が停滞する」という意味です。
「おこ」は「決められていたことが進行する」ことを意味します。
「たる」は「垂る」であり、停滞したり、調子が落ちたりすることを意味します。
それにより、「進みが停滞する」ということになります。
おこなふ (行なふ・行ふ)
①(仏道を)修行する
②実施する・実行する
「おこたる」とセットで覚えましょう。
「おこ」は「決められていたことが進行する」です。
「なふ」は、もともとは接尾語です。名詞・副詞・形容詞の語幹などについて、「その動作をする」ことを意味します。
あわせて考えると、「進行することをする」ということです。
そのことから、滞りなくどんどん物事を進めていくを意味するのですが、主に仏道の修行を進めることで用いられました。仏教系の話題の文章に「おこなふ」という動詞がある場合、「修行する」と訳すことが多くなります。
おどろく (驚く)
①目が覚める
②はっと気づく
「おどろ」は擬声語といわれています。「刺激的な出来事」を意味したようです。
(現代語でも「おどろおどろしい」というと、非日常的なニュアンスがありますね。)
そのことから、「おどろく」は、「刺激的な出来事に出会ってはっとする」ことを意味します。
寝ている状態から「おどろく」のであれば①の意味です。
すでに起きている状態から「おどろく」のであれば②の意味になります。
おぼゆ (覚ゆ)
①(ふと・自然と)思われる
②思い出される
③似る
④(他の人から)思われる
「おもふ」に上代の助動詞「ゆ」がついて、「おもはゆ」になり、平安時代には「おぼゆ」と一語化したものです。
「ゆ」は「自発・受身・可能」の意味がありましたが、平安時代には動詞の一部に残っただけで、助動詞としてはなくなりました。代わりに用いられたのが「る」です。
そのことから、「おぼゆ」は、「おもふ」に「自発」「受身」「可能」のニュアンスを付け加えて理解するとよいとされます。
とはいえ、肯定文の場合、ほとんどは「自発」の意味で、「思われる」と訳せばよいケースが多いです。
否定文の場合、「思い出せない」といったように、「可能」の意味合いが含まれることがありますが、多くはありません。
「受身」の意味合いになる例文もほとんどありません。
基本的には「自発」のニュアンスでとっておけばOKです。
かしづく (傅く)
①大切に育てる
②大切に世話する
「頭(かしら)つく」から動詞になったという説があります。
「地面に頭をつけて、ひれ伏すほど大切にする」というニュアンスです。
「傅」という漢字は、高貴な人物の子どもの世話役、守り役を指し、姓にも使用された文字でした。
そのことからもともとは、子どもとはいえ、ひれ伏さなければならない人物を育てたことを意味したようです。
次第に自分の子どもを大切に育てることにも使用されていきます。特に、娘を大切に育てる場合によく使われる動詞です。
かる (離る)
①離れる
②疎遠になる
古語では「離る」と書いて「かる」と読みます。漢字のとおり、訳は「離れる」です。
「かる」という動詞は、他にも「狩る(狩りをする)」「刈る(刈り取る)」「借る(借りる)」「駆る(追い立てる)」などがありますが、これらは現代語と意味が同じですし、古文でも漢字で書かれることがほとんどなので、気にすることはありません。
ひらがなで書かれている動詞の「かる」は、「離れる」の意味で取りましょう。
ひらがなの「かる」において、「離れる」の意味がどうしても当てはまらない場合は、「狩・刈・借・駆」のほうの意味であることもなくはないですが、かなり珍しいケースです。
ぐす (具す)
①備わっている
②ついていく
③連れていく・持っていく
「具」という体言に、サ行変格活用動詞の「す」がついて一語化した動詞です。
「防具」「武具」といった熟語をイメージしてみましょう。「具」とはもともと「物や身体にくっついているもの」ということです。「建具」「具材」などは、「物」にくっついているものですね。
このように、「具」がもともと「備わっている」ことを意味するので、もともとの意味は「備わっている」ですが、文脈上、②③の意味になることが多くなります。
ながむ (眺む・詠む)
①もの思いにふける・物思いにふけりながらぼんやり見る
②口ずさむ・歌を詠む
発生の過程は明らかではないが、どちらも「長し(ながし)」と関わりを持つと言われています。
①は「長く何かを見る」ことから、「ぼんやりする」という意味を持ちました。
②は「長く声を出す」ことから、「歌を口ずさむ」という意味を持ちました。
①②どちらの意味になるかは文脈判断ですが、前後の文に和歌が登場したら②であり、そうでなければ①である可能性が高いです。
なやむ (悩む)
①苦労する・困る
②病気になる
現在のように「思い悩む」という意味もあるが、古語としては、①②の用例が多くなります。
にほふ (匂ふ)
①美しく色づく
②明るく照り映える
「丹」は赤い色を意味し、「穂」が内側から外側に現れ出ることを意味しました。それに「ふ」がついて「にほふ」になったと言われます。「赤色が美しく目立つ」ということです。
語義通り、もともとは視覚的な美しさが表出されたことを意味しました。
「よい匂いがする」という意味でも用いられましたが、平安時代は、嗅覚を表す際はどちらかというと「かをる」を多く用いたようです。
「にほふ」は、基本的には「美しく色づく」というように、視覚的なものとして訳しておきましょう。
中世以降は、「にほふ」も嗅覚を表す用例のほうが多くなり、現代では「色づく」という意味はすっかりなくなりました。
ねんず (念ず)
①(神仏に)祈る
②我慢する
「念」という名詞に、サ変動詞「す」がついて一語化した動詞です。
「念」はもともと神仏に祈ることなので、率直に「祈る」という意味で用いますが、たとえば仏道の修行などは、つらいことに耐えるものがほとんどですね。そのことから、「我慢する」という意味でも広く用いられるようになりました。
どちらの意味になるかは文脈判断ですが、「祈る」でも「我慢する」でもどちらでも訳せる用例も少なくありません。設問として問われていなければ、①と②の区別はそれほど重視しなくて問題ありません。
ののしる (罵る)
①声高に騒ぐ
②評判になる
もともとは①の意味であり、「声高に騒ぐほど評価が高い」ということから②の意味でも用いられるようになりました。
現代語では「悪口を言う」という意味ですが、平安時代にはその意味はありません。中世以降から悪い意味でも用いられるようになっていき、現代では悪いほうだけが残ってしまいました。
なお、似た意味を持つ古語に「さわぐ」がありますが、「さわぐ」は、多数の事物が入り乱れてざわざわする状態に用います。「ののしる」が「音」の現象であるのに対し、「さわぐ」は「音と動き」のやかましさを意味します。
「ののしる」は「人や動物」についてしか用いれらませんが、「さわぐ」のほうは、強い風や荒れた川の様子など、自然現象のやかましさにも用いられます。
まもる (守る・護る)
①じっと見つめる
②(様子を)うかがう
③大切に育てる
「目・守る(ま・もる)」が一語化したものであり、もともとは視覚的にじっと見つめる意味です。そのことから、「うかがう」「大切に育てる」などの意味が派生しました。
なお、「もる(守る)」という語もありますが、こちらは、「(ある一地方を)監視する」という狭い意味で用います。
漢字で「守る」と書かれると、「もる」なのか「まもる」なのか判然としませんが、「訳しなさい」などという設問になっていなければ「見守る」くらいに解釈しておけば問題ありません。
みゆ (見ゆ)
「みる」に助動詞「ゆ」がついて一語化したと言われています。
「おぼゆ」の場合と同様に、自発・受身・可能などのニュアンスを含みます。
②の訳は「可能」の意味を含んでいるものですが、これは多くの場合、下に打消し表現を伴い、「見えない」と訳すことになります。
中古では、「る」「らる」「べし」などが「可能」の意味を持っていますが、これらも基本的には、下に打消表現を伴い、結果的に「できない」という訳で用いられることがほとんどです。
やる (遣る)
①(人を)行かせる
②(物や手紙を)送る
③~し終える・~しきる *動詞の連用形につく「補助動詞」の用法
「遣隋使」や「遣唐使」の「遣」の字であることから、イメージしやすい動詞です。漢字を知っておくといいですね。
「人」を派遣するなら「行かせる」と訳し、「物品や手紙」を送付するなら「送る」と訳しましょう。
「書きやる」「食ひやる」といったように、動詞の連用形につく場合、その動作を最後まですっかり完結することを意味します。「(最後まで)書ききる」「(全部)食べ終える」などと訳します。ただし、この③の用法は、多くの場合、下に打消表現を伴い、「(最後までは)~しきらない」「(すべては)~し終わらない」と訳すことになります。
なお、同じ漢字で「遣す(おこす)」という動詞もあります。「遣る」が「こちらから向こうに送る」ことを意味するのに対し、「おこす」は「向こうからこちらに送る」という意味になります。
余談ですが、「思い遣り」という言葉は相手に思いを送るということですね。
「ことばづかい」の「づかい」も、通常は「遣」を用います。「言葉遣い」です。「ことばを相手に送る」ということです。
わたる (渡る)
①移る・移動する
②(時を)過ごす・(年月を)送る
③一面に~する *補助動詞の用法
④ずっと~し続ける *補助動詞の用法
「広く空間的または時間的に移動する」という意味です。
本動詞(単独動詞)で用いられている場合、
「空間」であれば①の訳になります。
「時間」であれば②の訳になります。
他の動詞の連用形につく補助動詞の用法の場合、
「空間」であれば③の訳になります。(例)「花咲きわたる(花が一面に咲く)」
「時間」であれば④の訳になります。(例)「思ひわたる(ずっと思い続ける)」
わづらふ (煩ふ)
①思い悩む
②病気になる
③~しかねる(~しにくくて困る) *補助動詞の用法
もともとは精神的に苦しむことを意味しました。中古に入ると、肉体的に苦しむことも意味するようになり、②の意味が出てきました。
「言ひわづらふ」のように、動詞の連用形につく補助動詞の用法の場合、「言いかねる(言いにくくて困る)」と訳します。
「病気になる」という訳になる動詞には他に「なやむ」がありますが、「なやむ」のほうは肉体的な苦しみのほうがもともとの意味なので、「出産の苦しみ」などにも「なやむ」を用いることがあります。
このように、「わづらふ」はもともと精神的苦痛であり、「なやむ」はもともと肉体的苦痛ですが、どちらも平安期には精神・肉体どちらの意味でも用いるようになっていきました。
なお、「わづらふ」は「わづらはし(いやだ)」という形容詞を生み、「なやむ」は「なやまし(具合が悪い)」という形容詞を生みました。