
『堤中納言物語』より「虫愛づる姫君(むしめづるひめぎみ)」の現代語訳(2)です。
その(1)はこちら。
これを、~
これを、若き人々聞きて、「いみじくさかしたまへど、いと心地こそ惑へ、この御遊びものは」「いかなる人、蝶めづる姫君につかまつらむ」とて、兵衛といふ人、
いかでわれ とかむかたふなく いてしがな 烏毛虫ながら 見るわざはせじ
と言へば、
これを、若い女房たちが聞いて、「並々でなくもてはやしなさるけれど、たいそう気持ちが乱れる、このお遊びには」「どのような人が、蝶をかわいがる姫君にお仕えしているのだろう(そちらがうらやましい)」と言って、兵衛という女房が、
――どうにかして、姫君に道理を説くことなく、(この屋敷に)いたいものだ。(姫君もいつまでも)毛虫のままでいることはないだろう【いずれは蝶になるだろう】。
と言うと、
小大輔といふ人、~
小大輔といふ人、笑ひて、
うらやまし 花や蝶やと 言ふめれど 烏毛虫くさき よをも見るかな
など言ひて笑へば、
小大輔という女房が、笑って、
――うらやましいことだ。(人は)花や蝶やと言うようだが、(私たちは)毛虫くさい中で、毎日を過ごしているのだな。
などと言って笑うと、
「からしや、~
「からしや、眉はしも、烏毛虫だちためり」「さて、歯ぐきは、皮のむけたるにやあらむ」とて、左近といふ人、
「冬くれば 衣たのもし 寒くとも 烏毛虫多く 見ゆるあたりは
衣など着ずともあらなむかし」など言ひあへるを、
(女房たちは、)「つらいわ、眉のところも、毛虫のようであろう」「そうして、歯ぐきは、(毛虫の)皮のむけたものであろう」と言って、左近という女房が、
――「冬が来ると、着物は(十分あると)頼りになる。寒くても、毛虫がたくさんいるこの屋敷では。
着物など着なくても(そのまま)いてほしいよ」などと言い合っているのを、
とがとがしき女聞きて、~
とがとがしき女聞きて、「若人たちは、何事言ひおはさうずるぞ。蝶めでたまふなる人も、もはら、めでたうもおぼえず。けしからずこそおぼゆれ。さてまた、烏毛虫ならべ、蝶といふ人ありなむやは。ただ、それが蛻くるぞかし。そのほどをたづねてしたまふぞかし。それこそ心深けれ。蝶はとらふれば、手にきりつきひて、いとむつかしきものぞかし。また、蝶はとらふれば、瘡病せさすなり。あなゆゆしとも、ゆゆし」と言ふに、いとど憎さまさりて、言ひあへり。
口うるさい女房が聞いて、「若い女房たちは、何を言っていらっしゃるのだ。蝶をかわいがっていらっしゃる(隣の)人も、けっして、すばらしいとは思わない。異様だと思う。そうしてまた、毛虫を並べて、蝶という人がいるだろうか、いや、いない。ただ、それ【毛虫】が脱皮するのだよ。(姫君は)その過程を探究していらっしゃるのだよ。それこそ深い心構えだ。蝶は捕らえると、手に粉がついて、たいへん気持ち悪いものだよ。また、蝶は捕らえると、わらわやみ【マラリアのような熱病】を起こさせるという。ああひどい、ひどい」と言うと、(若い女房たちは)ますます憎らしくなって、(悪口を)言い合った。
この虫どもとらふる童べには、~
この虫どもとらふる童べには、をかしきもの、かれが欲しがるものを賜へば、さまざまに、恐ろしげなる虫どもを取り集めて奉る。「烏毛虫は、毛などはをかしげなれど、おぼえねば、さうざうし」とて、蟷螂、蝸牛などを取り集めて、歌ひののしらせて聞かせたまひて、われも声をうちあげて、「かたつぶりのお、つのの、あらそふや、なぞ」といふことを、うち誦じたまふ。
この虫どもを捕らえる童には、(姫君が)興味深いもの、童が欲しがるものをくださるので、(童たちは)いろいろと、恐ろしそうな虫たちを採集して(姫君に)差し上げる。「毛虫は、毛などはおもしろいが、(故事などを連想させるものとは)思えないので、物足りない」といって、かまきり、かたつむりなどを取り集めて、大声で歌って申し上げなさって、姫君も声を張り上げて、「かたつむりの、角の、争うのは、何だ」ということを詠唱なさる。

白居易の詩歌に、次のものがあります。
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蝸牛角上争何事
石火光中寄此身
随富随貧且歓楽
不開口笑是癡人
蝸牛角上何事をか争ふ
石火光中此の身を寄す
富に随ひ貧に随ひ且らく歓楽せよ
口を開いて笑はざるは是れ癡人
かたつむりの角の上(のようなせまい場所)で、(人は)何を争っているのか。
(人生は)火打ち石の火花のような瞬間に、身を寄せているのだ。
(だから)貧富それぞれに応じて、その間、歓び楽しむのがよい。
口を開いて笑うこともないのは、おろかな人である。
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「童」と「姫君」は、こういった詩をベースにして、虫を取り集めて遊んでいるのですね。

わ、童も教養があるんだな!
童べの名は、~
童べの名は、例のやうなるはわびしとて、虫の名をなむつけたまひたりける。けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこなんどつけて、召し使ひたまひける。
童の名は、一般的なものはつまらないと言って、虫の名をおつけになった。「けらを」ひきまろ」「いなかたち」「いなごまろ」「あまびこ」などとつけて、召し使っていらっしゃった。

けらを ⇒ おけら
ひきまろ ⇒ ひきがえる
いなごまろ ⇒ いなご(しょうりょうばった)
あまびこ ⇒ やすで
のことだと言われています。
「いなかたち」は不詳です。