説明によく出てくる「荘園」っていうのはなんなの?
荘園の変遷を長い期間で語るには紙面が足りないから、ここでは成立から平安時代の動向について話そう。
たのんだ。
荘園のことを話すためには、「大化の改新」から始まるよ。
長い?
長いけど、そうせざるを得ない。
そうせざるを得ないなら聞こう。
大化の改新によって進められた政治によって、国の土地はすべて朝廷のもので、それを農民に貸してあげるということになったんだ。
農民に与えられた土地を口分田といって、その人が死亡すると朝廷に返すきまりになっていた。これを「班田収授法」という。
農民は収穫したお米の一部を祖(税)として朝廷におさめる。労役の仕送りとして米や布などを届ける「庸」という制度や、繊維製品や特産品などをおさめる「調」という制度もあって、歴史の授業だとまとめて「租庸調」とよぶことが多いね。
平城京に遷都する前から、こういう制度ができつつあった。
その人個人しか田んぼを借りられなかったのか・・・。
しかも、租をおさめるのがけっこう厳しいんだね。
「戸籍」というものがつくられて、どこに誰がいるのか管理されているから、農民たちはその地方の工事とかにもいいように使われてしまうんだ。
しかも、男子には兵役があって、関東地方の口分田を与えられているのに、都や、北九州の警護につくこともあった。そうして、帰ってこられない人も少なくなかったんだ。
現代の会社でたとえると、パソコンを支給されたかわりに、今までしていなかったホームページのデザインまで仕事に加えられてしまい、しかも遠隔地に単身赴任を命じられるようなもんだな。
ちょっと違うけど、まあまあそんな感じ。
だから、口分田をすてて逃げてしまう農民がけっこう出てくる。死んだことにして返しちゃうとか。
そうすると、租の回収ができなくなるから、結局困るのは朝廷なんだね。
そこで、「新しくたがやして作った田は、本人・子・孫(または子・孫・曾孫)の3代まで使っていいよ」という法をつくる。
これを「三世一身法」という。奈良時代になってから、口分田の貸与の期間を延ばすんだね。
三世代使ったあとはどうなるの?
朝廷に返さなきゃならない。
じゃあ、やっぱりやる気でないわ。
当時の記録でも、「農民がやる気出さない」って書いてあるみたい。
そこで朝廷は、「もうずっとその人のものでいいよ」という法律をつくる。
これが「墾田永年私財法」というもの。
「借り物」ではないから、耕した土地は、親戚と分け合ったり、子孫に残したりすることができる。
これに「よっしゃ!」って思ったのが、貴族なんだ。
なにしろずっと「私有地」になるわけだから、貴族たちは農民をやとって、どんどん開拓を進めていくんだね。口分田を捨てて逃げてきた農民もやとっちゃう。
お寺とか神社も同じようなことをして、「お寺の私有地」や「神社の私有地」を増やしていくんだ。
やとっている農民たちが住む村もそこにつくったりして、「大農園」ができていくことになる。これが「荘園」の始まり。
「貴族」が多いのは都の周辺だから、荘園は近畿地方でどんどん広がっていくんだね。
でも、「大農園」にすると、そのぶん「租」も多くなるんでしょ?
もともと、神社用の「神田(社田)」や寺院用の「寺田」などは、「不輸祖田」といって、祖をおさめなくてもいい場合が多かったんだ。
神社はもともと皇室と関係が深いから、税免除だった。
また、天皇の指示で「大仏」を作ったりしていたことからもわかるように、当時の日本には「仏教の力で国が守られている」という発想があった。だから朝廷は、力のあるお寺に対して、「租を納めなくていいから、そのぶんお寺や仏像の管理をしっかりね」という立場をとっていたんだ。
それを「不輸の権」というんだけど、やがて、藤原氏などの有力貴族が、この「不輸の権」を朝廷に要求するようになるんだね。
そんなのを認めてしまっていいのか?
藤原氏が、天皇のおじいちゃんになったりして、皇室の権力だけで押さえつけられる相手ではなくなってしまっていたからね。
それに、朝廷は朝廷で財政難になっていたから、「給料払えないかわりに荘園の租を払わなくていいよ」という方法に出るしかなかった面もある。
いずれにしても、藤原氏は、「不輸の権」を得た荘園をかなり持つことになる。
ウハウハだな。
そうすると、「不輸の権」を持つ貴族と仲がいい地方豪族なんかは、「ねえ、オレの農園も、あんたのところの荘園ってことにしてくれない?」と言うようになる。
貴族は「いいよ。でも、朝廷に渡すほどじゃなくていいから、何かちょうだいね」と言うようになる。
農園の管理者は、朝廷に租を納めるよりは楽になるから、「やった」と思うし、貴族は、「荘園の大家さん」として名前を貸してあげるだけで何かもらえるから、「やった」と思う。
こういう行為を「寄進」といい、その荘園を「寄進地系荘園」という。
平安時代に不動産業があったということだな。
「おれ、荘園を30ほど管理してます。家賃だけで年収8億です」みたいな。
当時は「国司」という役人が朝廷から派遣されていて、国司が地方の土地を管理しているんだけど、その国司による土地調査にも応じなくていい荘園も出てくるんだ。「不入の権」という。
そうすると、「不輸の権」「不入の権」を持っている荘園の中にどのくらいの働き手がいて、どのくらいの収穫があるということが、朝廷にはぜんぜんわからない。
でも、朝廷の管理下にないということは、土地を力づくで奪おうとする集団とかが出てきそうだよね。「ちょっと山向こうの荘園奪っちまおうぜ」みたいな。
出てくる。
だから、荘園を守るために武装を始めるんだ。
暴走族のたたかいみたいだな。
「国司」と地方豪族や農民たちのいさかいもけっこうあった。
国司として実際に地方に来ている人を「受領」というんだけど、定められた以上の祖を回収して、私腹を肥やす受領がけっこういたんだね。集団としての力が弱いと従うしかないんだけど、農民たちが結束して、その土地の豪族をリーダーにして、抵抗した集団もあった。
「宿題一覧表」に載っていない課題を勝手に追加する先生に、クラス委員長を中心にして生徒が反発すようなものだな。
ちょっと違うけど、まあまあそんな感じ。
受領が横暴だったりすると、そのへんにいる元国司なんかが反発してくれたりもした。
元国司? 家は都にあって、仕事が終わったら都に帰ってるんじゃないの?
国司のなかには、任期を終えても都に帰らずに、この武装集団と関係を深めていく者も出てくる。
国司って、一般的には「中流貴族」なんだ。貴族のなかでも三位以上のスーパートップ層はそのまま都の政治集団にいるから、位がそこまでは高くない貴族とか、出世コースから少し外れた貴族とかが国司になりやすいんだ。
そうすると、「都より地方のほうがいいなあ」と思って、任期が終わってもそのまま地方に住みついちゃう人も出てくる。
気持ちはわかる。
武装した農民たちはというと、やはり何らかの由緒のある「リーダー」がほしいんだよ。そういう存在がいるほうが、結束が強まって、集団が大きくなるから。
その点、国司は四位とか五位くらいとはいえ「貴族」だし、もとはといえば皇族から枝分かれした一族の子孫もいる。
そういう「由緒」があると、「あの人のもとに結束しよう!」となりやすいよね。
そりゃそうだ。
特にそういう気運が強まったのが関東地方。
◆近畿に比べて、「これから開墾される場所」がたくさんあった。
◆都から離れているから、「独自の勢力」をつくりやすかった。
◆都から離れているから、国司が「任期を終えても、もう都に戻らなくていいや」と思いやすかった。
武装集団が形成されやすい土壌があったんだね。
そりゃあ、ネコでも都に戻らないぞ。
こうした武装集団のリーダーとして活躍していったのが、「源氏」や「平氏」の武将なんだ。
それについてはこちら。