八田知家
知重はわしの息子で、小田の今後をまかせたんだ。
小田は筑波山の南のほうだ。
つくばワンワンランドの近くだな。
小田知重
近いっちゃあ近い。
八田知家
知重の弟たちは、次男有知が伊自良(いまの岐阜県山県市)・三男知基が茂木(いまの栃木県茂木町)・四男家政が宍戸(いまの茨城県笠間市)などを領地として、伊自良氏・茂木氏・宍戸氏の祖となっていった。他の兄弟たちも、各方面に所領を持った。
伊自良って、伊自良湖の伊自良?
そりゃあ、茨城から相当遠いな。
八田家がもともと持っていた土地ではなくて、承久の乱の功績で、有知が伊自良荘の地頭に任ぜられたみたいだね。
八田知家
わし自身は常陸国の守護になって、名目上は常陸を統治する立場にあったわけだけれども、八田や小田の東には大掾氏の勢力があって、北には佐竹氏の勢力があったから、正直そんなに存在感なかったです。
小田知重
でも、そのぶんだけ、息子たちが各方面でがんばったよね。
養子も含めると八田の八兄弟!
すげえ。
知重は、合戦や、儀式といった「御家人たくさん登場」というときに、「有力武将」に並んで名前があるから、頼朝からの信任が厚かったことはたしかなんだけど、単独で何かをしたという記録はほとんど残っていない。
まあ、逆に問題行動がなかった優等生ということなんだろうね。
小田知重
そう思ってもらえるとうれしい。
ああ、でもこの記録なんてどう?
なんだ?
1189年の2月28日、頼朝、彗星を見る。
寝所から庭に出た頼朝の警護として、前に結城朝光と三浦義連が控え、後ろに梶原景季と八田知重が控えた。
結城朝光
前!
三浦義連
前!
梶原景季
後ろ!
小田知重
後ろ!
いやあ~。
優等生の位置だわ~。
小田知重
ありがとう。