歴史の教科書みたいなものに畠山重忠が最初に出てくるのは「衣笠城合戦」あたりだね。
くわしくはこちら。
そのときは源頼朝の敵側だったけど、その後は頼朝側について、重臣になる。
源範頼・義経が平家討伐に向かった際にも、先陣を務めることが多くて大活躍するんだ。
一の谷の合戦では、急角度の崖を馬を背負ってかけおりたという逸話があるよ。
馬を背負って崖をかけおりたってすごいね。
戦う前からくたびれた。
『源平盛衰記』っていう書物に書いてあるんだ。
『源平盛衰記』は、『平家物語』の話をさらに盛って描いているものだから、実話の可能性は高くないのだろうけれど、「畠山重忠ならそのくらいのことをする」とみんなが思っているということがすごいよね。
確かに坂東武士の鏡だ。
平家討伐後、鎌倉の鶴岡八幡宮で、義経の恋人である静御前が「白拍子」という舞を踊るんだけど、そのときに銅拍子で伴奏を務めたのが畠山重忠。
銅拍子って何?
シンバルみたいなやつ。
力を込めてズシャン!
時には弱奏でカシャン・・・
伴奏まで漢らしさと優しさを兼ね備えているのか!
頼朝が義経を討つように命じて、義経をかくまっていた奥州藤原氏と合戦になった際には、やはり先陣を担って活躍している。
このとき三浦義村や葛西清重が「先に行くぜ」って感じで勝手に先陣をとろうとするんだけど、重忠は「それはそれでよい。止めなくてよい」って感じでズシンとかまえていたらしいよ。
「先陣はわしじゃぞ!」とか言わないんだ!
合戦のあと、相手側の武士を取り調べしたときなんかは、梶原景時が高圧的に話しても何にも話さなかった相手が、畠山重忠が礼儀正しく接したら、「あんたになら話す」と話し始めたそうだよ。
刑事ドラマとかに出てくる大物刑事だよそれは!
とにかく、こんなふうに戦の場面では大活躍するんだけど、鎌倉幕府がはじまってからは不遇なことになる。
頼朝が亡くなってからは、十三人の合議制がしかれて、有力な御家人が政治に深く関与するようになっていくんだけど、そのぶんだけ、権力闘争がすごいことになるんだね。
「梶原景時の乱」が起こり、「比企能員の乱」が起こる。
くわしくはこちら。
梶原景時が結城朝光をおとしめようとして、逆に追放されたやつだな。
「一幡を推す比企能員」対「千幡(のちの源実朝)を推す北条時政」
という骨肉の争いだった。
とりあえずわしが勝った。
そんなわけで時政の策略が勝って、比企氏は滅ぼされ、千幡が12歳で将軍になる。そのまま元服して「実朝」となるんだね。
このあと畠山重忠の乱というのが起こる。
乱ばっかり起こるな。
かいつまんで言おう。
畠山重忠の息子である重保が、宴会の席で、平賀朝雅という人と口論になる。
さて、畠山重忠の義理のお父さんは時政。
平賀朝雅の義理のお父さんも時政。
わけがわからない。
図にするとこう。
「牧の方」という人は時政の後妻なんだけど、この人が、この口論をきっかけに、
「ねえ、畠山重忠って、謀反(権力者にはむかって滅ぼそうとしてくること)を起こして、あなたのこと殺そうとしてるんじゃない?」と時政に言い始める。
真に受けた時政は、息子たち(義時や義房)に「重忠を討っちゃおうか」と相談するんだけど、義時なんかは「いやいやいや、ないでしょ」と反対していた。
だって、重忠は、頼朝が鎌倉に入るころから、平家を討伐するときも、梶原景時の変でも、比企能員の変でも、ずっと北条氏の味方だったからね。
重忠はずっと北条氏とともに戦ってくれた。
でもまあ父から命じられるようなかたちで、結局は義時も重忠討伐に加わる。
いやいやながらね。
だって、重忠はもともと友人だし、図でわかるとおり義兄弟だから。
義時とは基本なかよし。
まず口論となった張本人である重保は、みんなで「謀反人を討ちに行くぞー!」って由比ガ浜に行くんだ。
「謀反をはたらいた人はどこだどこだ」とみていると、いつのまにか重保が取り囲まれている。
「え、お、おれー!?」と思うけど、そのまま討たれてしまう。
そのとき重忠は?
菅谷館(いまの埼玉県比企郡嵐山町)から、鎌倉に向けて出発していた。
鎌倉で騒ぎがあったから来てほしいと言われて、向かうことになったんだね。
なんか「鎌倉で騒ぎが起きているから来てね」って言われたんだよ。
そのときはちゃんと馬に乗りました。
そのとき義時は?
重忠討伐軍の大将。
ズーラシア方面からやってくる重忠軍130騎あまりを、鶴ヶ峰駅方面から迎えうつ幕府軍数千騎!
ちょいちょい今の地名入ってくるんだな。
そこでわしは知る。
わしが討伐の対象だと。
対象の大将。
「対象」と「大将」のことば遊びだな!
義時の軍の多さと、わしの軍の少なさ、とても対照的!
わしの軍と重忠の軍の位置取り、いわば点対称!
大将の首とったやつが大賞!
めざすぜ大勝!
でもこんなに少ない軍に勝ってもできないぜ大笑!
義時のライムの教養すげえな。
仲良すぎだろこれ。
重忠はそこで、息子の重保が討たれたこと、自分自身が討伐の対象となっていることをはじめて知るんだ。
逆に義時は、あまりにも少ない畠山軍の様子を知って、こんなふうに思う。
重忠の兵、少なすぎない?
もしも重忠が本当に謀反を企てているんだとしたら、企てがばれているときのことを考えて、もっと大軍で来るはず。
けれど、重忠はほんの少しの兵で、「騒ぎがあったって聞いたんですけど、どうしたんですか?」って感じ。
そこで自分に謀反の疑いがかけられていて、討伐の対象になっていると知るんだからね。
「え、お、おれー!?」って感じだよね。
これ、どっちかっていうと親父と親父の後妻が悪いんじゃないかな……。
結局そこで重忠は討たれてしまうんだけど、鎌倉に帰った義時は、時政にこのようなことを言ったらしい。
重忠の一族は一緒に来ていなくて、軍勢は小勢だった。
重忠が謀反を企てたといううわさは嘘だ。
重忠は無実だ。
その斬られた首を見ると涙がとめどなく流れた。
悲しくてふるえる。
そう言ってくれるだけでも本望。
時政は言い争うこともなく引き下がったらしいね。
でも義時の「父ちゃん最近やべえな」って思いはふくらんでくる。
そんなタイミングで、再び「平賀朝雅」の名前が出てくるだ。
ああ、時政と牧の方の義理の息子で、畠山重保と言い争ったという人ね。
どうやら、時政と牧の方は、息子の朝雅を将軍にしようとしていて、そのため、現将軍の実朝を殺そうとしているらしい、といううわさだ。
ちょっ、さすがにまじいべ。
時政からみれば、実朝は孫だから、計画には消極的だったらしいけど、牧の方は積極的に計画を整えていたらしい。
これを知って激おこしたのが政子。
お姉ちゃんの政子と弟の義時は協力して、時政の館にいた実朝を奪還してくる。
そして、父である時政と父の後妻である牧の方を鎌倉から追放する。
こうしてわしは伊豆にひきこもって二度と復帰できなかった。
そりゃそうだ。老害め。
こうして「時政の時代」から「義時の時代」に移り変わっていくんだね。
二代目の執権となるのだな。
なるべくしてなった。
義時さん、かっこいいぜ!