畠山重忠 ―漢気あり 礼節あり 仁義あり 謀略なし―

人物
畠山重忠 はたけやましげただ

平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。

源頼朝の挙兵した直後は敵対する勢力でしたが、まもなく頼朝にしたがい、重要なはたらきをします。

平家討伐にあたっては、ほぼすべての戦いで先陣を務めました。

一の谷の合戦では、急角度の崖の上から平氏軍に奇襲をしかけましたが、その際、馬が傷つかぬよう、背負って駆け下りたという逸話が残っています。

正直で潔く、勇気と思いやりをそなえた人物として、「坂東武士ばんどうぶしの鑑」と評価されています。

歴史の教科書みたいなものに畠山重忠が最初に出てくるのは「衣笠城合戦」あたりだね。

くわしくはこちら。

そのときは源頼朝の敵側だったけど、その後は頼朝側について、重臣になる。

源範頼・義経が平家討伐に向かった際にも、先陣を務めることが多くて大活躍するんだ。

一の谷の合戦では、急角度の崖を馬を背負ってかけおりたという逸話があるよ。

馬を背負って崖をかけおりたってすごいね。

畠山重忠
畠山重忠

戦う前からくたびれた。

源平盛衰記げんぺいじょうすいき』っていう書物に書いてあるんだ。

『源平盛衰記』は、『平家物語』の話をさらに盛って描いているものだから、実話の可能性は高くないのだろうけれど、「畠山重忠ならそのくらいのことをする」とみんなが思っているということがすごいよね。

確かに坂東武士の鏡だ。

平家討伐後、鎌倉の鶴岡八幡宮で、義経の恋人である静御前しずかごぜんが「白拍子」という舞を踊るんだけど、そのときに銅拍子どびょうしで伴奏を務めたのが畠山重忠。

銅拍子どびょうしって何?

畠山重忠
畠山重忠

シンバルみたいなやつ。

力を込めてズシャン!

時には弱奏ピアニッシモでカシャン・・・

伴奏までおとこらしさと優しさを兼ね備えているのか!

頼朝が義経を討つように命じて、義経をかくまっていた奥州藤原氏と合戦になった際には、やはり先陣を担って活躍している。

このとき三浦義村みうらよしむら葛西清重かさいきよしげが「先に行くぜ」って感じで勝手に先陣をとろうとするんだけど、重忠は「それはそれでよい。止めなくてよい」って感じでズシンとかまえていたらしいよ。

「先陣はわしじゃぞ!」とか言わないんだ!

合戦のあと、相手側の武士を取り調べしたときなんかは、梶原景時が高圧的に話しても何にも話さなかった相手が、畠山重忠が礼儀正しく接したら、「あんたになら話す」と話し始めたそうだよ。

刑事ドラマとかに出てくる大物刑事デカだよそれは!

とにかく、こんなふうに戦の場面では大活躍するんだけど、鎌倉幕府がはじまってからは不遇なことになる。

頼朝が亡くなってからは、十三人の合議制がしかれて、有力な御家人が政治に深く関与するようになっていくんだけど、そのぶんだけ、権力闘争がすごいことになるんだね。

「梶原景時の乱」が起こり、「比企能員の乱」が起こる。

くわしくはこちら。

梶原景時が結城朝光をおとしめようとして、逆に追放されたやつだな。

一幡いちまんを推す比企能員ひきよしかず」対「千幡せんまん(のちの源実朝さねとも)を推す北条時政ときまさ

という骨肉の争いだった。

北条時政
北条時政

とりあえずわしが勝った。

そんなわけで時政の策略が勝って、比企氏は滅ぼされ、千幡が12歳で将軍になる。そのまま元服して「実朝さねとも」となるんだね。

このあと畠山重忠はたけやましげただの乱というのが起こる。

乱ばっかり起こるな。

かいつまんで言おう。

畠山重忠の息子である重保しげやすが、宴会の席で、平賀朝雅ひらがともまさという人と口論になる。

さて、畠山重忠の義理のお父さんは時政。

平賀朝雅の義理のお父さんも時政。

わけがわからない。

図にするとこう。

「牧の方」という人は時政の後妻なんだけど、この人が、この口論をきっかけに、

「ねえ、畠山重忠って、謀反むほん(権力者にはむかって滅ぼそうとしてくること)を起こして、あなたのこと殺そうとしてるんじゃない?」と時政に言い始める。

真に受けた時政は、息子たち(義時や義房)に「重忠を討っちゃおうか」と相談するんだけど、義時なんかは「いやいやいや、ないでしょ」と反対していた。

だって、重忠は、頼朝が鎌倉に入るころから、平家を討伐するときも、梶原景時の変でも、比企能員の変でも、ずっと北条氏の味方だったからね。

北条義時
北条義時

重忠はずっと北条氏とともに戦ってくれた。

でもまあ父から命じられるようなかたちで、結局は義時も重忠討伐に加わる。

北条義時
北条義時

いやいやながらね。

だって、重忠はもともと友人だし、図でわかるとおり義兄弟だから。

畠山重忠
畠山重忠

義時とは基本なかよし。

まず口論となった張本人である重保しげやすは、みんなで「謀反むほん人を討ちに行くぞー!」って由比ガ浜に行くんだ。

「謀反をはたらいた人はどこだどこだ」とみていると、いつのまにか重保が取り囲まれている。

「え、お、おれー!?」と思うけど、そのまま討たれてしまう。

そのとき重忠は?

菅谷館すがややかた(いまの埼玉県比企郡嵐山町)から、鎌倉に向けて出発していた。

鎌倉で騒ぎがあったから来てほしいと言われて、向かうことになったんだね。

畠山重忠
畠山重忠

なんか「鎌倉で騒ぎが起きているから来てね」って言われたんだよ。

そのときはちゃんと馬に乗りました。

そのとき義時は?

重忠討伐軍の大将。

ズーラシア方面からやってくる重忠軍130騎あまりを、鶴ヶ峰駅方面から迎えうつ幕府軍数千騎!

ちょいちょい今の地名入ってくるんだな。

畠山重忠
畠山重忠

そこでわしは知る。

わしが討伐の対象たいしょうだと。

対象たいしょう大将たいしょう

対象たいしょう」と「大将たいしょう」のことば遊びだな!

畠山重忠
畠山重忠

義時の軍の多さと、わしの軍の少なさ、とても対照たいしょう的!

北条義時
北条義時

わしの軍と重忠の軍の位置取り、いわば点対称たいしょう

大将たいしょうの首とったやつが大賞たいしょう

めざすぜ大勝たいしょう

でもこんなに少ない軍に勝ってもできないぜ大笑たいしょう

畠山重忠
畠山重忠

義時のライムの教養すげえな。

仲良すぎだろこれ。

重忠はそこで、息子の重保が討たれたこと、自分自身が討伐の対象となっていることをはじめて知るんだ。

逆に義時は、あまりにも少ない畠山軍の様子を知って、こんなふうに思う。

北条義時
北条義時

重忠の兵、少なすぎない?

もしも重忠が本当に謀反を企てているんだとしたら、企てがばれているときのことを考えて、もっと大軍で来るはず。

けれど、重忠はほんの少しの兵で、「騒ぎがあったって聞いたんですけど、どうしたんですか?」って感じ。

そこで自分に謀反の疑いがかけられていて、討伐の対象になっていると知るんだからね。

「え、お、おれー!?」って感じだよね。

北条義時
北条義時

これ、どっちかっていうと親父ときまさ親父の後妻まきのかたが悪いんじゃないかな……。

結局そこで重忠は討たれてしまうんだけど、鎌倉に帰った義時は、時政にこのようなことを言ったらしい。

北条義時
北条義時

重忠の一族は一緒に来ていなくて、軍勢は小勢だった。

重忠が謀反を企てたといううわさは嘘だ。


重忠は無実だ。


その斬られた首を見ると涙がとめどなく流れた。


悲しくてふるえる。

畠山重忠
畠山重忠

そう言ってくれるだけでも本望。

時政は言い争うこともなく引き下がったらしいね。

でも義時の「父ちゃん最近やべえな」って思いはふくらんでくる。

そんなタイミングで、再び「平賀朝雅ひらがともまさ」の名前が出てくるだ。

ああ、時政と牧の方の義理の息子で、畠山重保はたけやましげやすと言い争ったという人ね。

どうやら、時政と牧の方は、息子の朝雅を将軍にしようとしていて、そのため、現将軍の実朝を殺そうとしているらしい、といううわさだ。

北条義時
北条義時

ちょっ、さすがにまじいべ。

時政からみれば、実朝は孫だから、計画には消極的だったらしいけど、牧の方は積極的に計画を整えていたらしい。

これを知って激おこしたのが政子。

お姉ちゃんの政子と弟の義時は協力して、時政の館にいた実朝を奪還してくる。

そして、父である時政と父の後妻である牧の方を鎌倉から追放する。

北条時政
北条時政

こうしてわしは伊豆にひきこもって二度と復帰できなかった。

そりゃそうだ。老害め。

こうして「時政の時代」から「義時の時代」に移り変わっていくんだね。

二代目の執権となるのだな。

北条義時
北条義時

なるべくしてなった。

三浦義村
三浦義村

義時さん、かっこいいぜ!