鎌倉の武士は、土地の名前がそのまま名前になっている人が多いね。
鎌倉時代の「恩賞」というものは、基本的に「土地」なんだね。
「この土地はわが一族がいただいた土地だ」ということが、何よりも大切な価値観。
その土地があるからこそ、子孫が生きていけるわけだから、ある意味では個人の命よりもずっと大切なんだ。
「一所懸命」なんていう言葉もあって、これは「場所」を懸命に守るということなんだね。
だから、伊東祐親と工藤祐経は、あんなにも「伊東」の地をめぐって争ったのか。
伊東の地をめぐる争いについてはこちら。
そうだね。
今でいう「苗字」の感覚とはちょっと違うんだ。
「この土地を持っている」ということなんだね。
「三浦義明」といったら、「三浦」を治めている「義明」ということ。
この時代は、一族に対して所領が与えられていく時代だから、「小田氏の祖」とか「毛利氏の祖」といったように、いまの人々が使っている名前の「祖」がたくさん出てくる。たいていはその土地の名称を一族の名前にしているね。
三浦というのは、いまでいう神奈川県の三浦半島のあたりか。
そう。三浦市や横須賀市のあたり。
頼朝の祖先から、所領として三浦の地を授かったことで、名前も「三浦」となったんだ。
三浦義明のひいおじいちゃんである「為通」の代に三浦の地を得たようだね。
為通からみると義明はひまごか。
そうじゃ。
では、為通からみた義澄(義明の子)なんという?
玄孫。
そんな言葉があるのか。
それにしても、「為」と「義」ばっかりだな。
源為義(頼朝・義経のおじいちゃん)とか、源義朝(頼朝・義経のお父さん)とか、そもそも源氏に「為」や「義」がたくさん出てくるからね。
源氏から土地をもらっている三浦氏も、名前に「為」や「義」をつけるんだ。お世話になっている人や、元服のときに来てくれた人から名前をもらったりする。
三浦氏は、土地の恩もあるから、源氏の軍勢としてボコボコ戦うんだな。
そのとおり!
三浦義明と義澄の親子は、「保元の乱(1156年)」と「平治の乱(1159年)」で源義朝(頼朝・義経のお父さん)と一緒に戦うんだ。
平治の乱では敗れてしまうんだけど、三浦義明・義澄の親子は何とか三浦に帰ってくるんだ。でも、その後も源氏とつながりをもって、平家打倒の気持ちを持ち続けるんだね。
ということは、頼朝が平家打倒の挙兵をしたときは喜んだだろうね。
アゲアゲじゃぞ。
それで、「石橋山の戦い」という合戦に参加しようとするんだけど、三浦氏が持っていた「衣笠城」というお城は今の横須賀のほうなんだよね。石橋山は小田原のほう。
けっこう遠いな。
ルート検索をかけたら、車で2時間だった。
馬だと4時間かかる。
馬は速いんじゃないの?
当時の日本の馬は、サラブレッドみたいな馬じゃなくて、ポニーがちょっと大きくなったくらいの馬なんだ。
人や鞍を乗せて10kmくらい走ると疲れちゃうから休憩。
かわいい。
この場面には関係ないんだけど、源義経は、ある合戦のときに、一人につき馬を二頭用意したらしいよ。
背中に何も乗せてなければ馬はそんなに疲れないから、しばらく走ったら、疲れていないほうの馬に乗り換えるんだ。
そうすると休憩の時間がほとんどいらないから、「まさかこんなに早く到着するはずがない」って時間に合戦場につく。
平家からすると、まだ準備できていないのに義経がきちゃう。
考えつく義経はすごいな。
「工夫した戦法が成功した例」という兵法の授業が世界中にあるんだけど、義経の作戦は海外でも有名になるくらい優れていたらしいよ。
生き物に無理させてない点も評価できる。
まあ、馬で崖を駆け下りたりとか、無茶もしたけどね。
そんなとき、馬を背負っていたわし。
すげえ。
三浦氏に話を戻すと、天候も悪くて「石橋山」には間に合わなかったんだね。
着く前に頼朝が負けて敗走していることを知る。
そこで、三浦に引き返すんだね。
ところが今の平塚(鎌倉と小田原のあいだ)のあたりに、畠山重忠の軍が陣をはっていたんだ。
三浦軍と畠山軍は、由比ガ浜で遭遇してしまう。
畠山重忠は、この時点では平家側の勢力なんだね。
まあ、もともと「畠山家」は平将門の子孫の系列だから、血脈的には平氏なのだ。
父ちゃんが京で仕事をしていたこともあって、筋を通すわしとしては、平家側についていた。
三浦側は、和田義盛が「やあやあ、われこそは和田義盛」って感じで名乗りをあげる。
本当はもっと長い。当時は戦う前にかっこいいセリフ付きで名乗るんだ。
こりゃあ、合戦になるぞ。
ところが、最初はならなかったんだ。
畠山はのちに頼朝側にくるくらいだから、この時点でも「絶対平氏!」という感じでもない。父ちゃんの仕事の義理で参加している感じ。
しかも、畠山氏と三浦氏は、同じ東国武家で、親戚も多いんだね。相対しても、「あ、あいつ知ってる」という感じになるから、和平の方向になるんだ。
そこにやってくるわけがわかっていないオレ。
やあやあ、われこそは、わだよしもちいぃィ!
三浦義明の長男「義宗」の長男が「和田義盛」で、次男が「和田義茂」。
「義宗」の弟が「三浦義澄」だから、「義澄」からすると、「和田義盛」と「和田義茂」の兄弟は甥っ子たち。
やあ、兄上の子どもたち。
義茂!
遅刻だぞ!!
ごめんごめん、杉本城ってここから近いでしょ。
なんか、近いとかえって遅刻しちゃう。
おまえ、それ学校の生徒あるあるだぞ。
ギリギリセーフを狙える位置にいるぶんだけ、余裕をかましすぎて遅刻する。
実は同じ坂東武士の親戚が多いということもあり、和平を・・・・・・
やあやあ、とりあえず相手に突進してズバアァァン!!
え? よ、よしもちいぃィ!!
もいっちょズバアァァン!!
よ、よしもちいぃィ!!
よしもちハッスル。ヨシモッスル。
ズバアァァン!
おのれ、やられたのならやりかえすしかない!
実をいうと、わしも親戚だけどズバアァァン!
畠山重忠も三浦家の親戚なのか!?
母ちゃんが三浦義明の娘だ。
こっちも義明の孫じゃないか!!
「義明の子と孫」対「義明の孫」になっているぞ!
おれの父ちゃんは義明。
おれのおじいちゃんは義明。
おれのおじいちゃんも義明。
おれのおじいちゃんも義明。
孫たちの騒乱。
ここで三浦家と敵対している「畠山重忠」のお父さんは「畠山重能」という人なんだけど、この「畠山重能」の「正室」が「三浦義明の娘」で、「側室」が「江戸重継の娘」なんだ。
どうやら、側室である「江戸重継の娘」が畠山重忠を産んだらしいんだけど、書類上のお母さんは正室である「三浦義明の娘」っていうことになっている。
おそらく、跡継ぎにする関係で、正室の子として育てたんだろうね。
ほんとうのおじいちゃんは江戸重継。
さて、そんな中、「河越重頼」や「江戸重長」が、畠山軍の加勢にくる。
今の川越市と、今の千代田区の人?
そうだよ。
もともとは、「畠山」とか「河越」とか「江戸」とかは「秩父平氏」って言うんだけど、平家の本流からはちょっと外れていて、「平家」には属していなかった。むしろ、「本流」からは「なんちゃって平氏」みたいな扱いを受けていた。そういうこともあって、保元の乱では「源義朝」のもとで戦に参加しているんだね。
とはいえ、血脈的には平氏だから、「源氏なのか平氏なのか」という観点では平氏。だから、平治の乱で義朝が敗死したあとは、なんとなく平氏の勢力に取り込まれていたんだね。そういう経緯もあって、源頼朝が挙兵した直後は、平氏側として頼朝の勢力を抑えに来てるんだ。
河越頼重は、ご近所様。
江戸重長は、わしのほんとうのおじいちゃんの息子。つまりおじさん。
入り乱れる親戚関係!
お正月に親戚でやる人生ゲームじゃないんだぞおおぉ!
お互いに火がついちゃって、けっこう戦っちゃう。
お、おさめどころは?
振り上げたこぶしの落としどころは?
おさまらなかった。
けっこう死者が出る。
わしらは衣笠城を攻めたのだ。
合戦が始まってしまって、両軍とも引くに引けなくなってしまうんだね。
そんなわけで、城に父ちゃんだけ置いて、みんなで安房国(いまの千葉県)のほうに逃げた。
安房のほうで頼朝さんと待ち合わせ。
わしは・・・衣笠城に残る!
このとき、三浦義明は87歳。みんなを見送って城に残ったんだね。
わしはずっと源氏につかえてきて、こんな歳になっちゃったけど、貴重な遺伝子が再び立ち上がるところにめぐりあえた。この命を頼朝に捧げるぞ。
かっけえ。
城を守るというよりは、みんなの足手まといになるから、残ったみたいだね。
それはそれでかっけえ。
さらば親父殿。
こうして三浦義明は討たれてしまうんだけど、安房に逃れた三浦家と、頼朝が合流して、平家打倒の巨大な勢力になっていく。
畠山重忠は、自分の書類上のじいちゃんを討ったんだな。
無念。
この時代の出来事は、少ない資料から推定しているから、ほんとうのおじいちゃんなのかもしれないけどね。
そうすると、わしは畠山重忠の本当のおじさんということになるぞ。
三浦家と頼朝が安房で合流したあと、今でいう浅草や府中のほうまで進軍してくると、畠山重忠も江戸重長も、かつて敵対したことを謝って、頼朝の傘下に入るのだ。
三浦氏は複雑な心境だよね。
まあまあ複雑。
でも、そこは頼朝が、「平家という大敵を倒すためには、かつて敵であった畠山・江戸・河越の兵力もほしい。だから三浦も仲良くして」というようなことを言って、お互い禍根を残さずに席に並んだそうだよ。
今日からよろしく。
うむ。手を組もう。
うむ。
うむ。
まあ、今この話がスムーズにできるのも、鳩サブレーのおかげだけどね。
どういうことだ?
現代の話になるけど、以前に鎌倉市が、管理費が困窮したことを理由にして、「由比ガ浜」「材木座」「腰越」の3つの海水浴場の「命名権」を売り出したんだ。
え?
じゃあ、買い取れば、「ねこ海水浴場」にできるってこと?
義澄海水浴場にもできるの?
お金を出せばね。
そこで命名権を買ったのが、「鳩サブレー」で有名な「豊島屋」というお菓子屋さん。
「鳩サブレー海水浴場」にできるね。
心なしか、海岸線のかたちも鳩サブレーに見えなくもない。
そして発表の日。
どきどきだな。
われらの思い出の場所が、「ヤフーBB海水浴場」とかになったらちょっと残念。
「ヤフーBB古戦場」とかウケルww
大草原不可避wwwww
豊島屋が発表した新しい名前は、「由比ガ浜海水浴場」「材木座海水浴場」「腰越海水浴場」。
え?
まんまじゃん。
「みなさんが親しんでいる、昔ながらの名前で呼びましょう」ということだ。
金払ってんのに?
かっけえ。
粋な対応だよね。
大感動の大感謝。
きっと義明殿も喜んでおられるだろう。
大賞賛不可避。