奥州合戦は、頼朝じきじきに大手軍(敵陣に正面から向かう軍)を率いて北上するんだね。この軍の先陣は畠山重忠。
このとき、右サイド(太平洋側)から北上したのが八田知家たち。
アルゼンチン代表でいうならサネッティだ。
左サイド(日本海側)から展開したのが、比企能員や宇佐美実政だ。
ブラジル代表でいうならロベルト・カルロスだ。
それでいうと、頼朝と畠山重忠はなんだ?
頼朝さんはベッケンバウアーでしょうな。
畠山さんは~。カズかな。
ああ~。
プレーだけでなく、存在感もスター級だからな。
まあとにかく、宇佐美実政は日本海側から奥州藤原氏を攻めにいった。
夏でよかったよね。
雪降ってたらあっちまで行くの大変ですからね。
このとき実政は藤原泰衡の郎従の由利八郎を生け捕りにして、すごかったな。
由利八郎をとらえたときは、なんか別の人がしゃしゃり出てきて、自分が捕らえたと言い始めたんだ。
そこで、由利本人に尋問したんだけど、最初に話した梶原景時の態度が尊大で、由利は話をしてくれなかった。
「正しいことだけを申し上げよ!」と威圧的に言ったら、ぜんぜんダメだった。
なんか梶原はこういうエピソードが多すぎて、逆にかわいいな。
景時が、「態度が悪くて話にならん」というと、頼朝が、「それは景時が無礼だからだろう」と言った。
ぎゃふん。
そこで役者交代で畠山重忠が礼節をもって話を聞くと、由利は「黒糸威の鎧を着ていて、鹿毛の馬に乗った者」ときちんと答えたそうだ。
二階堂行政のなんでもメモによると、 黒糸威の鎧と鹿毛の馬は、宇佐美実政ぞ。
ありがとう。
畠山さんの礼節と、二階堂さんのなんでもメモ。
便利ななんでもメモ。
刑事物の取り調べにありそうな展開だな。
犯人の自白を「完落ち」させるシゲさん。
そしてひたすら記録をとるメモさん。
通称、「オトシ」のシゲさん
メモさん・・・悪くない。
シゲさんとメモさんおかげで助かりました。
その後の記録はあまりないのだけれど、藤原泰衡の残党ともいえる大河兼任の反乱において、討死したと伝えられている。
ただ、誤報との説もあって、確かなことはわからない。
大見氏(宇佐美氏)は、早い段階で頼朝から「越後国白川荘」の地頭職に任ぜられてて、頼朝の没後は一族でそっちに行っていたようだ。
後世、そこから大見水原氏が分家して、水原城が作られる。その後、そこが江戸幕府の天領となり、水原代官所が作られる。
戊辰戦争の時に会津藩が越後の拠点としたのがこの水原代官所だね。
い、いまもある観光スポットじゃないか!
したがって、石橋山の戦いで、宇佐美実政らが頼朝を守っていなければ、水原代官所もなかった。
歴史、すげえ!
守っておいてよかった!