宇佐美実政(大見実政) ―奥州合戦大活躍 由利八郎を生け捕った―

人物
宇佐美実政(大見実政) うさみさねまさ(おおみさねまさ) 

平安時代末期~鎌倉時代初期の武将です。

伊豆いず大見おおみ荘に居住し、大見とも称しました。

石橋山の戦いでは、敗走する源頼朝よりともを守り、兄政光まさみつとともに大庭景親おおばかげちか軍を防ぎました。

頼朝の寝所を警護する11人の「家子」に選ばれています。

奥州合戦の際、藤原泰衡やすひらの家臣である由利八郎を捕らえ、武功を立てました。

その後、泰衡の郎党大河兼任が反乱を起こした合戦で戦死したとされますが、誤報との説もあります。

奥州合戦は、頼朝じきじきに大手軍(敵陣に正面から向かう軍)を率いて北上するんだね。この軍の先陣は畠山重忠。

このとき、右サイド(太平洋側)から北上したのが八田知家たち。

八田知家
八田知家

アルゼンチン代表でいうならサネッティだ。

左サイド(日本海側)から展開したのが、比企能員ひきよしかず宇佐美実政うさみさねまさだ。

宇佐美実政
宇佐美実政

ブラジル代表でいうならロベルト・カルロスだ。

それでいうと、頼朝と畠山重忠はなんだ?

結城朝光
結城朝光

頼朝さんはベッケンバウアーでしょうな。

宇佐美実政
宇佐美実政

畠山さんは~。カズかな。

ああ~。

プレーだけでなく、存在感もスター級だからな。

まあとにかく、宇佐美実政うさみさねまさは日本海側から奥州藤原氏を攻めにいった。

比企能員
比企能員

夏でよかったよね。

宇佐美実政
宇佐美実政

雪降ってたらあっちまで行くの大変ですからね。

比企能員
比企能員

このとき実政は藤原泰衡の郎従の由利八郎を生け捕りにして、すごかったな。

由利八郎をとらえたときは、なんか別の人がしゃしゃり出てきて、自分が捕らえたと言い始めたんだ。

そこで、由利本人に尋問したんだけど、最初に話した梶原景時の態度が尊大で、由利は話をしてくれなかった。

梶原景時
梶原景時

「正しいことだけを申し上げよ!」と威圧的に言ったら、ぜんぜんダメだった。

なんか梶原はこういうエピソードが多すぎて、逆にかわいいな。

景時が、「態度が悪くて話にならん」というと、頼朝が、「それは景時が無礼だからだろう」と言った。

梶原景時
梶原景時

ぎゃふん。

そこで役者交代で畠山重忠が礼節をもって話を聞くと、由利は「黒糸威くろいとおどしの鎧を着ていて、鹿毛かげの馬に乗った者」ときちんと答えたそうだ。

畠山重忠
畠山重忠

二階堂行政のなんでもメモによると、 黒糸威くろいとおどしの鎧と鹿毛かげの馬は、宇佐美実政ぞ。

宇佐美実政
宇佐美実政

ありがとう。

畠山さんの礼節と、二階堂さんのなんでもメモ。

二階堂行政
二階堂行政

便利ななんでもメモ。

刑事物の取り調べにありそうな展開だな。

犯人の自白を「完落ち」させるシゲさん。

そしてひたすら記録をとるメモさん。

畠山重忠
畠山重忠

通称、「オトシ」のシゲさん

二階堂行政
二階堂行政

メモさん・・・悪くない。

宇佐美実政
宇佐美実政

シゲさんとメモさんおかげで助かりました。

その後の記録はあまりないのだけれど、藤原泰衡の残党ともいえる大河兼任おおかわかねとうの反乱において、討死したと伝えられている。

ただ、誤報との説もあって、確かなことはわからない。

大見氏(宇佐美氏)は、早い段階で頼朝から「越後国白川荘」の地頭職に任ぜられてて、頼朝の没後は一族でそっちに行っていたようだ。


後世、そこから大見水原氏が分家して、水原城が作られる。その後、そこが江戸幕府の天領となり、水原代官所が作られる。

戊辰ぼしん戦争の時に会津あいづ藩が越後の拠点としたのがこの水原代官所だね。

い、いまもある観光スポットじゃないか!

したがって、石橋山の戦いで、宇佐美実政らが頼朝を守っていなければ、水原代官所もなかった。

歴史、すげえ!

宇佐美実政
宇佐美実政

守っておいてよかった!