説明にしょっちゅう出てくる「執権」っていうのはなんなの?
鎌倉時代にかんして言えば、北条時政が「政所」という機関の別当に就任したところから執権職がはじまったとされているよ。
時政の息子の北条義時の代からは、「侍所」という機関の別当も兼ねるようになったから、二代目以降は「政所と侍所の別当を兼ねる人」ということになるね。
いきなり難単語が連発された。
「政所」は、鎌倉幕府の財政や一般政務をおこなう組織のこと。
「侍所」は、警備や戦の指揮をとる組織のこと。
「別当」は、長官職のこと。複数いる場合もある。
今ふうにたとえてほしい。
将軍が「生徒会長」だとすれば、執権は、「副会長」「書記」「会計」「会計監査」「委員会統括」「部活動統括」すべての責任者。
学校を動かせるよ!
しかも、四代目以降の生徒会長は、転校生で気が弱い。押し付けられて仕方なく就任。
事実上、執権がナンバーワンだよ!
将軍が「野球チームのオーナー」だとすれば、執権は、「財務」「事務」「一軍監督」「二軍監督」「育成」「スカウト」すべての責任者。
好き勝手な編成ができるよ!
しかも、そのオーナーは、一代目が亡くなったあと、二代目が殺されて、三代目も殺されて、四代目からは野球のことをよく知らない人が来る。
もう執権の個人的なチームだよそれは!
しかも
北条氏しかなれない。
とんでもない差別社会だよ!
家柄ハラスメントだよ!
しかも
数ある北条氏の中でも、時政直系の子孫が優先。
いとこ同士で差がついてたら、お正月に親戚で集まるときとかに気まずいよ!
お年玉の金額が違うなんてもんじゃないよ。
執権という言葉そのものは、平安時代からあったんだけど、そのときの文献にはあんまり出てこない。
天皇の秘書的な役職を「蔵人」といって、その長官を「蔵人の頭」というんだけど、ある時期それを執権と呼んだ記録もあるみたいだね。
あたまよさそう。
歴史の教科書に出てくる「執権」は、なんといっても鎌倉幕府の「執権」だよね。
鎌倉幕府は「将軍」はぜんぶで9代なんだけど、「執権」はぜんぶで16代(または17代)。
将軍の補佐をした役職なんだね。
名目上はそうなんだけど、執権のほうが権力を持ってしまった時期も長かったんだ。
なにしろ「副会長」兼「書記」兼「会計」兼「部活動統括」兼「委員会統括」だからな。
初代の時政のことを話すとなると、平安時代までさかのぼるよ。
聞くだけ聞こう。
では。