北条高時は、時行のお父さんなんだよね。
そうだよ。
何した人なの?
「幕府を開いた」とか「金閣寺を建立した」とか「大仏に眼を入れた」とかいったような、「中学校の教科書に載っている」的な意味で?
そう。「中学校の教科書に載っている」的な意味で。
何もしてない。
な、何もしてないの?
教科書に載るようなことは何もしていない。
高時はどうしてよだれをたらしているの?
(*『逃げ上手の若君』のなかでの描写です)
高時は遊んでばっかりいたイメージがあるから、「政治ができない人です」という感じで描いたんだろうね。
政治ができないの?
ふむ。
政治は長崎高資にぶんなげていた。
正確にいうと、頼んでないことまで長崎がやってて、結果的に向こうが権力者になってた。
で、高時はなにしてたの?
田楽
田楽は、もともとは田植えのときに歌い踊ったものとされているけど、鎌倉時代には演劇的要素が加わって、ミュージカルっぽくなってたみたいだね。
高時が田楽に興じていたということは、『太平記』に書いてあるよ。
あと、犬をたたかわせる遊び
え?
犬をたたかわせる遊び
許されない遊びだ。
これも『太平記』に書いてある。
「鎌倉中に充満して四五千疋に及べり」とあるから、たたかう犬が鎌倉に4、5千匹もあつまっていたんだな。
遊んでばっかりいたのか。
あまり健康じゃなかったという説もあるね。
『増鏡』には、「体調がいい時には田楽や闘犬などをした」というように書かれている。
だから不健康そうに描かれているのか。
仕方ないから、側近が政治をしていたんだね。
でも、実質の権力者になってしまった長崎高資が、複数の人から「悪いお金」をもらうなど、腐敗した政治をしていたんだな。
そりゃあ武士たちの不満もたまるでしょうよ。
少し前にあった元寇という蒙古とのたたかいにたくさんの御家人が参加させられて、そのうえ報酬などもなかったから、そもそも武士たちの不満はたまっていたんだね。
元寇の時の執権であった北条時宗は高時のおじいさん。
「悪党」っていって、「幕府の言うことなんか聞かないぞ!」という集団も増えていた時代なんだ。
そりゃそうだ。
結局、そういった不満が募っていたことも原因となって、鎌倉幕府は終焉を迎えていくんだね。
がんばってはたらいた従業員にはろくな給料も出さず、自分たちは遊んでいたり悪いことをしていたりしていたんだな。
そりゃあ「やっつけるぞ」ということになりかねないな。
そうだね。
ただ、この時代の記録があんまり残っていなくて、数少ない資料も、のちの権力者の意向が関与している可能性がけっこうあるんだよね。
だから、悪く言われすぎている部分もあるだろうね。