〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。
月のいと明き夜、「嫗ども、いざたまへ。寺に尊きわざすなる、見せたてまつらむ。」と言ひければ、かぎりなく喜びて負はれにけり。高き山のふもとに住みければ、その山にはるばると入りて、高き山の峰の、下り来べくもあらぬに、置きて逃げて来ぬ。「やや。」と言へど、いらへもせで、逃げて家に来て思ひをるに、言ひ腹立てける折は、腹立ちてかくしつれど、年ごろ親のごと養ひつつあひ添ひにければ、いとかなしくおぼえけり。
大和物語
現代語訳
月がたいそう明るい夜に、「おばあさん、さあいらっしゃい。寺でありがたい法要をするというのを、お見せ申し上げよう。」と(男が)言ったところ、(おばは)この上なく喜んで背負われた。高い山のふもとに住んでいたので、その山の遥か深くまで入って、高い山の峰で、下りてくることができそうにないところに、(おばを)置いて逃げて来た。(おばは)「これこれ。」と言うが、(男は)答えもせずに、逃げて家に来て(おばのことを)思っているとき、(妻がおばの悪口を)言って腹を立てたときは、腹が立ってこのようにしたが、長年の間親のように養いながらともに近くにいたので、たいそう悲しく思われた。
ポイント
嫗ども 名詞(+接尾語)
「嫗」は「年をとった女性」を意味します。
「ども」は、親しみの気持ちを込めてつける接尾語です。
「おみな」は、「おばあさん」のことであり、「おきな」と対になっています。「おきな」は「おじいさん」のことですね。「イザナミ」と「イザナギ」も、「ミ」が女性で、「キ」が男性を示していますので、「み(女)」「き(男)」という分類があったのだと思います。
この「おみな」が、やがて「おうな」になっていきました。
一方で、「をみな」という語もありまして、こちらは若い女性を意味します。「をみな」はやがて「をんな」になっていきました。
「お」よりも「を」のほうが若いんだな。
いざたまへ 連語
いざ 感動詞
「いざ」は、呼びかけに用いる感動詞です。「さあ」と訳します。
たまふ 敬語動詞(ハ行四段活用)
「たまへ」は、敬語動詞「たまふ」の命令形です。主体(行為者)を高める「尊敬語」です。
本来であれば「いざ来たまへ」「いざ行きたまへ」といったように、何らかの動詞があるものですが、この例文のように、状況的に何をするかがわかりきっている場合には、動詞を省略して「いざたまへ」と言うことが多いです。
ここでは、後ろで、「お寺でありがたい仏事がある」と言っているので、「いっしょに行こう」と誘っている文脈になります。
そのことから、「さあ、いらっしゃい」などと訳せるといいですね。
尊し 形容詞(ク活用)
「尊き」は、形容詞「たふとし」の連体形です。
そのまま「尊い」と訳しても問題ありませんが、ここでは「(寺での)わざ」を修飾していますので、「ありがたい法要・仏事」などと訳すと、より文脈に適合しています。
わざ 名詞
「業」は、名詞です。「行い・行為」ということですが、「寺」とあることから、「仏事」「法要」などと訳します。
なり 助動詞
「なる」は、「伝聞・推定」の助動詞「なり」の連体形です。
「すなる」となっているところに注目です。
「す」は、動詞「す」の終止形です。
終止形についている「なり」は「伝聞・推定」の助動詞です。
ここでは、「お寺でありがたい法要がある」ということを誰かから聞いたと考えるほうが適切ですので、「伝聞」と解釈し、「法要があるという」などと訳します。
(実際には、法要があるというのはうそで、おばあさんを山へ連れ出す口実だったわけですが……)
たてまつる 敬語動詞(ラ行四段活用)
「たてまつら」は、敬語動詞「奉る」の未然形です。「客体(行為の受け手)」を高める「謙譲語」です。
「見せる」という行為の客体(対象者)は「嫗ども(おばあさん)」なので、「おばあさんに対する敬意」を示しています。
ここでは「見す」という動詞についている補助動詞です。
補助動詞の「たてまつる」は、「お~申し上げる」「~てさしあげる」などと訳します。
む 助動詞
「む」は、助動詞「む」の終止形です。ここでは「意志」の意味です。