『土佐日記』より、「羽根といふ所(はねといふところ)」の現代語訳です。
教科書によっては、「羽根」という表題になっています。
今し、~
今し、羽根といふ所に来ぬ。若き童、この所の名を聞きて、「羽根といふ所は、鳥の羽のやうにやある。」と言ふ。まだ幼き童の言なれば、人々笑ふ時に、ありける女童なん、この歌を詠める。
ちょうど今、羽根という所に来た。幼い子どもが、この場所の名を聞いて、「羽根という所は、鳥の羽のようであるのか。」と言う。まだ幼い子どもの言葉であるので、人々が笑う時に、さきほどの女の子ども【以前和歌を詠んだ少女】が、この歌を詠んだ。
まことにて、~
まことにて 名に聞くところ 羽ならば 飛ぶがごとくに 都へもがな
とぞ言へる。
本当に(羽根という)名に聞く場所が(鳥の)羽であるならば、飛んでいくように都へ帰れるといいなあ。
と詠んだ。
男も女も、~
男も女も、いかで疾く京へもがなと思ふ心あれば、この歌、よしとにはあらねど、げにと思ひて、人々忘れず。
(その歌を聞いた)男も女も、なんとかして早く京へ帰りたいと思う心があるので、この歌は、上手というわけではないが、本当に(そのとおりだ)と思って、人々は忘れない。
この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、~
この羽根といふ所問ふ童のついでにぞ、また昔へ人を思ひ出でて、いづれの時にか忘るる。今日はまして、母の悲しがらるることは。下りし時の人の数足らねば、古歌に、「数は足らでぞ帰るべらなる」といふ言を思ひ出でて、人の詠める、
この羽根という所を問う子どもをきっかけに、また昔の人(土佐で亡くなった女児)のことを思い出して、いつの時に忘れるだろうか、いや、忘れることはない。今日はまして、(女児の)母が悲しまれることだ。(女児が亡くなったため、京から土佐に)下った時の人の数が足りないので、昔の歌にある、「数が足りないで帰るようだ」という言葉を思い出して、人が詠んだ(歌には)、
世の中に~
世の中に 思ひやれども 子を恋ふる 思ひにまさる 思ひなきかな
と言ひつつなむ。
世の中に思いをはせても、子どもを恋い慕う気持ちを上回る思いはないことだ。
と言いながら(悲しんだ)。