上にさぶらふ御猫は 『枕草子』 現代語訳

『枕草子』より「上にさぶらふ御猫は(うへにさぶらふおほんねこは)」の現代語訳です。

上にさぶらふ御猫は、~

うへにさぶらふ御猫おほんねこは、かうぶりにて、命婦みやうぶのおとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、はしに出でて臥したるに、乳母めのとの馬の命婦、「あなまさなや。入りたまへ。」と呼ぶに、日のさし入りたるに、ねぶりてゐたるを、おどすとて、「翁丸おきなまろいづら。命婦のおとど食へ。」と言ふに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえまどひて、御簾のうちに入りぬ。

(一条)天皇のおそばでお仕えする御猫は、従五位下の位であって、「命婦のおとど」といって、たいそうかわいらしいので、(天皇が)大切にお育てになっているが、(この猫が)縁側に出て寝ているので、(猫の)世話役の馬の命婦が、「まあお行儀が悪いこと。(中へ)お入りなさい。」と呼ぶが、(猫はそのまま)日の差し入っているところで、眠り続けているのを、おどかそうとして、(馬の命婦が)「翁丸はどこ。命婦のおとどに食いつけ。」と言うと、(翁丸は)本当かと思って、愚か者【翁丸】は(猫に)飛びかかったので、(猫は)ひどく怖がって、御簾の中に入った。

「冠(かうぶり)は、貴族の象徴でもあるので、「かうぶり」がそのまま「位階五位以上の人」を示す比喩表現にもなりました。まあ、ここでは猫ですけど。

「命婦(みやうぶ)」は、五位以上の女官を指す名称です。

「翁丸」は犬です。

朝餉の御前に、~

朝餉あさがれひの間に、上おはしますに、御覧じていみじう驚かせたまふ。猫を御ふところに入れさせたまひて、男ども召せば、蔵人くらうど忠隆ただたか、なりなか参りたれば、「この翁丸、打ち調てうじて、犬島へつかはせ、ただ今。」と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、「乳母替へてむ。いと後ろめたし。」と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩り出でて、滝口などして追ひつかはしつ。

朝餉【天皇がとる簡単なお食事】の間に、天皇がいらっしゃったが、(この様子を)ご覧になってたいへん驚きなさった。(天皇は)猫をおふところにお入れになって、男たちをお呼びになると、蔵人の忠隆となりなかが参上したので、(天皇は)「この翁丸を、打ちこらしめて、犬島へ追いやれ、今すぐに。」とおっしゃるので、(人々が)集まり(翁丸を)狩りたてて騒ぐ。(天皇は)馬の命婦も叱って、「(猫の)世話役を替えてしまおう。(馬の命婦では)たいそう不安だ。」とおっしゃったので、(馬の命婦は恐れ慎み)天皇の御前にも出ない。犬は狩り出して、滝口(の武士)などに命じて、追い出しなさった。

「滝口」は、「清涼殿の周りを流れている溝の水が落ちるところ」です。清涼殿の東北面にあります。ここに陣を張って宮中を警護したのが「滝口の武士」です。

この場面では、犬を追い出すのに使われているのですね。

なんか、ちょっと、いやな役回りだね。

「あはれ、~

「あはれ、いみじうゆるぎありきつるものを。三月やよひ三日みか、頭弁の、柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桜腰にさしなどしてありかせたまひし折、かかる目見むとは思はざりけむ。」などあはれがる。「御ものの折は、必ず向かひさぶらふに、さうざうしうこそあれ。」など言ひて、三、四日みかよかになりぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、「何ぞの犬の、かく久しう鳴くにかあらむ。」と聞くに、よろづの犬、とぶらひ見に行く。

(女房たちは)「ああ、(翁丸はこれまで)たいそう体をゆすって【得意そうに】歩き回っていたのになあ。三月三日(の節句の日には)、頭の弁が、(翁丸に)柳の髪飾りをつけけさせ、桃の花をかんざしにして挿させ、桜を腰に挿したりして歩かせなさったときは、(翁丸が)こんな目に遭おうとは思はなかっただろう。」などと気の毒がる。「(皇后【定子】の)お食事のときは、(翁丸は)必ず(定子に)向かって控えていたのに、(いなくなって)寂しいことだなあ。」などと言って、三、四日経ってしまった昼ごろ、犬がはなはだしく鳴く声がするので、「どのような犬が、こんなに長々と鳴くのだろうか。」と聞いていると、たくさんの犬が、その様子を見に行く。

御厠人なるもの走り来て、~

御厠人みかわやうどなる者走り来て、「あないみじ。犬を蔵人二人して打ちたまふ。死ぬべし。犬を流させたまひけるが、帰り参りたるとて調じたまふ。」といふ。心憂のことや、翁丸なり。「忠隆・実房なんど打つ。」と言へば、制しにやるほどに、からうじて鳴きやみ、「死にければ、陣の外にひき捨てつ。」と言へば、あはれがりなどする、夕つ方、いみじげに腫れ、あさましげなる犬の、わびしげなるが、わななきありけば、「翁丸か。このごろかかる犬やはありく。」と言ふに、「翁丸。」と言へど、聞きも入れず。

御厠人【宮中の厠を清掃する人】である者が走ってきて、「ああひどい。犬を蔵人が二人でお打ちになる。死んでしまうだろう。犬をお流しになった【流罪となさった】のが、帰って参ったといってこらしめていらっしゃる。」と言う。かわいそうなことよ、(その犬は)翁丸である。「忠隆と実房などが(犬を)打っている。」と言うので、止めに行かせるうちに、やっとのことで(犬が)鳴きやみ、「死んだので、陣屋の外にひき捨ててしまった。」と言うので、かわいそうに思うなどする、その夕方に、並々でなく腫れあがって、あきれるほどひどい様子の犬で、みすぼらしいのが、ふるえながらうろついているので、(私が)「翁丸か。(翁丸以外に)このごろこのような犬がうろついているか(いや、翁丸にちがいない。)」と言うが、「翁丸。」と言っても、聞き入れもしない。

「それ。」とも言ひ、~

「それ。」とも言ひ、「あらず。」とも口々申せば、「右近ぞ見知りたる。呼べ。」とて召せば、参りたり。「これは翁丸か。」と見せさせたまふ。「似てははべれど、これはゆゆしげにこそはべるめれ。また、『翁丸か。』とだに言へば、喜びてまうで来るものを、呼べど寄り来ず。あらぬなめり。『それは、打ち殺して捨てはべりぬ』とこそ申しつれ。二人して打たむには、はべりなむや。」など申せば、心憂がらせたまふ。

(女房たちは)「そうだ。」とも言い、「そうではない。」とも口々に申し上げるので、(定子は)「右近が見知っている。呼びなさい。」とおっしゃってお呼びになると、(右近の内侍が)参上した。(定子は)「これは翁丸か。」とお見せになる。(右近は)「似てはおりますが、これはひどい様子に見えます。また、『翁丸か。』とさえ言えば、喜んでやって参るのに、呼んでも近寄って来ない。(翁丸では)ないようだ。(蔵人たちは)『それ【翁丸】は、打ち殺して捨てました。』と申した。二人で打ったとしたら、(翁丸が)生きていることがありましょうか。(いや、きっと死んでいるだろう。)」などと申し上げるので、(定子は)心をお痛めになる。

暗うなりて、~

暗うなりて、物食はせたれど、食はねば、あらぬものに言ひなしてやみぬるつとめて、御けづり髪、御手水など参りて、御鏡を持たせさせたまひて御覧ずれば、さぶらふに、犬の柱のもとにゐたるを見やりて、「あはれ、きのふ翁丸をいみじうも打ちしかな。死にけむこそあはれなれ。何の身にこのたびはなりぬらむ。いかにわびしき心地しけむ。」とうち言ふに、このゐたる犬のふるひわななきて、涙をただ落としに落とすに、いとあさまし。さは翁丸にこそはありけれ、昨夜は隠れ忍びてあるなりけり、とあはれにそへて、をかしきことかぎりなし。

暗くなって、ものを食べさせたけれど、食べないので、(翁丸では)ないものだと言い定めて(話し合いが)終わりになったその翌朝、(定子が)調髪や洗面などをなさって、お鏡を(私に)お持たせになって(髪かたちを)ご覧になるので、(私は定子の)おそばに控えていたところ、犬が柱のもとにいるのを見やって、「ああ、昨日は翁丸をひどく打ったものだなあ。死んだとかいうことはかわいそうなことだ。何の身に今度は生まれ変わっただろう。どんなにつらい気持ちがしただろう。」となんとなく言うと、この犬が身をふるわせて、涙をただしきりに落とすので、たいそう驚きあきれる。「それならば、(この犬が)翁丸だったのだけれど、昨夜は隠れ忍んでいたのだ、としみじみとした感慨に加えて、趣深いことはこのうえない。

御鏡うち置きて、~

御鏡うち置きて、「さは翁丸か。」と言ふに、ひれ伏していみじう鳴く。御前にもいみじううち笑はせたまふ。右近の内侍召して、「かくなむ。」と仰せらるれば、笑ひののしるを、上にも聞こしめして渡りおはしましたり。「あさましう、犬なども、かかる心あるものなりけり。」と笑はせたまふ。上の女房なども、聞きて、参り集まりて呼ぶにも、今ぞ立ち動く。「なほ、この顔などの腫れたる。物の手をせさせばや。」と言へば、「つひにこれを言ひあらはしつること。」など笑ふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ。」と言ひたれば、「あな、ゆゆし。さらに、さるものなし。」と言はすれば、「さりとも、見つくるをりもはべらむ。さのみもえ隠させたまはじ。」と言ふ。

(私が)鏡を置いて、「それでは(あなたは)翁丸か。」と言うと、(犬は)ひれ伏してはなはだしく鳴く。皇后様【定子】もたいそうお笑いになる。(定子は)右近の内侍をお呼びになって、「こういうことだ。」とおっしゃったところ、(みなが)声高に大笑いするのを、天皇もお聞きになって(こちらへ)いらっしゃった。「驚きあきれることに、犬などにも、このような心があるものなのだなあ。」とお笑いになる。天皇付きの女房なども、(このことを)聞いて、参上して集まって(翁丸と)呼ぶと、今こそ立ち上がって動く。「まだ、この顔などが腫れている。手当をさせたい。」と(私が)言うと、
「とうとう(翁丸びいきの)本音を言い表したことだ。」などと(女房たちが)笑うと、忠隆が(このことを)聞いて、台所のほうから、「本当のことでしょうか。それ【翁丸】を見ましょう。」 と言ったので、「ああ、とんでもない。決して、そのようなもの【翁丸】はいない。」と(人をやって)言わせると、「そうはいっても、(翁丸を)見つけるときもありましょう。そうやってもお隠しになることはできまい。」と言う。

さて、~

さて、かしこまり赦されて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしこそ、よに知らず、をかしくあはれなりしか。人などこそ人に言はれて泣きなどはすれ。

さて、(翁丸は)慎んで罪を許されて、もとのように(宮中にいるように)なった。それにしても同情されて、(翁丸が)身をふるわせて鳴き出したことは、世の中にまたとなく、趣深くいじらしいものであった。人などは人に(同情的なことばを)言われて泣いたりなどするけれど。(犬にもそういうことがあるとは思いもよらなかった。)