虫愛づる姫君 『堤中納言物語』 現代語訳(後半)

『堤中納言物語』より「虫愛づる姫君(むしめづるひめぎみ)」の現代語訳(後半)です。

ここまでのお話はこちら。

かかること、~

かかること、世に聞こえて、いと、うたてあることを言ふ中に、ある上達部の御子、うちはやりてものおぢせず、愛敬づきたるあり。この姫君のことを聞きて、「さりとも、これにはおぢなむ」とて、帯の端の、いとをかしげなるに、蛇のかたをいみじく似せて、動くべきさまなどしつけて、いろこだちたる懸袋に入れて、結びつけたる文を見れば、

はふはふも 君があたりに したがはむ 長き心の 限りなき身は

とあるを、何心なく御前に持て参りて、「袋など。あくるだにあやしくおもたきかな」とて、ひきあけたれば、蛇、首をもたげなり。

こういうことが、世間に知れて、たいそう不愉快なことを言う(人々の)中に、ある上達部の御子で、血気盛んで物怖じせず、(それでいて)愛らしさがある子【男子】がいる。この姫君のことを聞いて、「そうはいっても、これにはきっと怖がるだろう」といって、帯の端で、とても立派に見えるものを、蛇の形にたいそう似せて、動くはずの状態に仕掛けて、鱗のように見えている懸袋【ひもで首からかける袋】に入れて、(そこに)結びつけた手紙を(女房が)見ると、

這いながらも、あなたのそばについていよう。長い心の限りがない私の身は。

と(書いて)あるのを、何という気持ちでもなく(姫君の)御前に持って参って、「袋など(ある)。開けるだけでも妙に重たいものだな」と言って、引き開けたところ、(仕掛けの)蛇が、首をもたげている。

人々、~

人々、心を惑はしてののしるに、君はいとのどかにて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とて、「生前の親ならむ。な騒ぎそ」と、うちわななかし、顔、ほかやうに、「なまめかしきうちしも、けちえんに思はむぞ、あやしき心なりや」と、うちつぶやきて、近く引き寄せたまふも、さすがに、恐ろしくおぼえたまひければ、立ちどころ居どころ、蝶のごとく、こゑせみ声に、のたまふ声の、いみじうをかしければ、人々逃げ去りきて、笑ひいれば、しかじかと聞こゆ。

人々は【女房たちは】、気が動転して大声で騒ぐが、姫君はたいそう落ち着いていて、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」ととなえて、「(私の)前世の親であろう。騒がないでおくれ」と、うちふるえて、顔は、別の方向を向いて、「みずみずしく美しい間だけ、身内のように思うのは、おかしな心であるぞ」と、ぶつぶつつぶやいて、(仕掛けの蛇を)近くに引き寄せなさるのも、そうはいってもはやり、恐ろしく思われなさったので、立ったり座ったり、蝶のように(あたふたし)、声は蝉声【甲高い声】で、おっしゃる声が、たいそう面白かったので、人々【女房たち】は逃げ去ってきて、笑っていると、これこれと(父である大納言に)申し上げる。

「いとあさましく、~

「いとあさましく、むくつけきことをも聞くわざかな。さるものあるを見る見る、みな立ちぬらむことこそ、あやしきや」とて、大殿、太刀をひきさげて、もて走りたり。よく見たまへば、いみじうよく似せて作りたまへりければ、手に取り持ちて、「いみじう、物よくしける人かな」とて、「かしこがり、ほめたまふと聞きて、したるなめり。返事をして、はやくやりたまひてよ」とて、渡りたまひぬ。

(父の大納言は)「たいそう驚きあきれて、不気味なことを聞くものだなあ。そのようなものがいるのを見ていながら、みな(姫君のそばから)立ち去ったようなことこそ、おかしなことだ」と言って、大殿【父の大納言】は、太刀をひきさげて、持って走ってきた。よくご覧になると、たいそうよく(本物の蛇に)似せてお作りになっていたので、手に取り持って、「たいそう、作り物を上手にした人だなあ」と言って、「(姫君が)利口ぶって、(虫などを)賞賛しなさっていると聞いて、(このようなことを)したのであろう。返事かへりごとを書いて、はやくお送りになれ」と言って、(部屋に)お帰りになった。

人々、~

人々、作りたると聞きて、「けしからぬわざしける人かな」と言ひにくみ、「返事せずは、おぼつかなりなむ」とて、いとこはく、すくよかなる紙に書きたまふ。仮名はまだ書きたまはざりければ、片仮名に、

「契りあらば よき極楽に ゆきあはむ まつはれにくし 虫のすがたは

福地の園に」とある。

人々【女房たち】は、作った(蛇だ)と聞いて、「とんでもない行為をした人だなあ」と言ってにくらしく思い、「返事をしないのは、きっと気がかりになるだろう」と言って、たいそうごわごわして、しっかりした【武骨で無風流な】紙にお書きになる。平仮名はまだお書きにならないので、片仮名で、

「ご縁があれば、最上の極楽【上品上生じょうぼんじょうしょう】でお逢いしよう。(現世で)おそばにいることはむずかしい。虫の姿【あなたのような蛇の姿】では。

福地の園【福徳のある極楽の園】で(お逢いしよう)」と書いてある。

右馬佐、~

右馬佐、見たまひて、「いとめづらかに、さまことなるふみかな」と思ひて、「いかで見てしがな」と思ひて、中将と言ひあはせて、あやしき女どもの姿を作りて、按察使あぜちの大納言の出でたまへるほどに、おはして、姫君の住みたまふかたの、北面きたおもて立蔀たてじとみのもとにて見たまへば、わらはの、ことなることなき、草木どもにたたずみありきて、さて、言ふやうは、「この木に、すべて、いくらもありくは、いとをかしきものかな」と。

右馬佐は、(姫君の返事を)をご覧になって、「たいそう珍しく、風変わりな手紙だなあ」と思って、「どうにかして(姫君を)見たいものだ」と思って、(友人の)中将と相談して、身分の低い女たちの姿に変装して、按察使の大納言が外出なさっている時に、いらっしゃって、姫君のお住まいになっている方面の、北面の立蔀のそばでご覧になると、男の童で、変わったところもない子どもが、草木のところに立ちどまりながら歩きまわって、そうして、言うことには、「この木に、全体に、無数に動きまわっている。たいそう面白いものだなあ」と。

「これ御覧ぜよ」とて、~

「これ御覧ぜよ」とて、すだれを引き上げて、「いとおもしろき烏毛虫かはむしこそ候へ」と言へば、さかしき声にて、「いと興あることかな。こち持て」とのたまへば、「取りわかつべくもはべらず。ただここもと、御覧ぜよ」と言へば、あららかに踏みて出づ。

「これをご覧ください」と簾を引き上げて、「たいそう興味深い毛虫がおります」と(姫君に)言うと、(姫君の)利口そうな声で、「たいそう面白みがあることだなあ。こちらに持って来て」とおっしゃると、「取り分けることができそうにありません。じかにこのあたり(に来て)、ご覧ください」と言うので、(姫君は)荒々しく足を踏んで出てくる。

簾をおし張りて、~

簾をおし張りて、枝を見はりたまふを見れば、かしらきぬ着あげて、髪も、さがりば清げにはあれど、けづりつくろはねばにや、しぶげに見ゆるを、眉いと黒く、はなばなとあざやかに、涼しげに見えたり。口つきも愛敬あいぎやうづきて、清げなれど、歯黒めつけねば、いと世づかず。「化粧けさうしたらば、清げにはありぬべし。心憂くもあるかな」とおぼゆ。

簾を押し張って(身を乗り出して)、枝を大きく見開いた目でご覧になっているのを見ると、頭に着物をかぶるように着て、髪も、額髪の下がっているあたりは美しく見えるけれど、(櫛で)毛づくろいをしないためであろうか、ぼさぼさに見えるが、眉はたいそう黒く、鮮やかに際立って、涼しそうに見える。口もともかわいらしく、美しく見えるが、お歯黒をつけないので、それほど色気がない。「化粧をしたら、きっと美しいだろう。残念に思うことだなあ」と思われる。

かくまでやつしたれど、~

かくまでやつしたれど、見にくくなどはあらで、いと、さまことに、あざやかにけだかく、はれやかなるさまぞあたらしき。練色の、あやうちきひとかさね、はたおりめの小袿こうちきひとかさね、白きはかまを好みて着たまへり。

これほどまで身なりをみすぼらしくしているけれど、見苦しくなどはなくて、たいそう、格別に、際立って気品があり、すっきりしている様子がもったいない【惜しい】。練色の【薄黄色の】、綾の【綾織の】袿を一重、こおろぎ模様のの小袿を一重、(そして)白い袴を好んで着ていらっしゃる。

この虫を、~

この虫を、いとよく見むと思ひて、さし出でて、「あなめでたや。日にあぶらるるが苦しければ、こなたざまに来るなりけり。これを、一つも落さで、追ひおこせよ。わらはべ」とのたまへば、突き落せば、はらはらと落つ。白きあふぎの、墨黒に真名まな手習てならひしたるをさし出でて、「これに拾い入れよ」とのたまへば、童べ、取り入る。

(姫君は)この虫を、しっかりよく見ようと思って、身を乗り出して、「ああすばらしい。日にあぶられるのが苦しいので、こちら側に来たのだなあ。これを、一つも落とさないで、(こちらへ)追いよこしてよ。童よ」とおっしゃるので、童が突き落とすと、(烏毛虫たちは)はらはらと落ちる。白い扇の、黒々とした墨で漢字の手習いをしたのを差し出して、「これに拾い入れて」とおっしゃったので、童は、(烏毛虫を扇に)取り入れる。

皆君達も、~

君達きんだちも、あさましう、「ざいなむあるわたりに、こよなくもあるかな」と思ひて、この人を思ひて、「いみじ」と君は見たまふ。

右馬佐も中将もどちらも、驚きあきれ、「学才ある方【大納言】(のところ)に、格別に他と違う姫君がいるのだなあ」と思って、この人【姫君】を思って、「並々でない」と右馬佐はご覧になる。

童の立てる、~

童の立てる、あやしと見て、「かの立蔀たてじとみのもとに添ひて、清げなるをとこ、さすがに姿つきあやしげなるこそ、のぞき立てれ」と言へば、この大輔たいふの君といふ、「あないみじ。御前には、例の、虫興じたまふとて、あらはにやおはすらむ。告げたてまつらむ」とて参れば、例の、すだれにおはして、烏毛虫かはむしののしりて、払ひ落させたまふ。

童が(右馬佐たちが)立っているのを、おかしいと見て、「あの立蔀のところに寄り添って、きれいな男で、そうはいってもやはり格好が妙であるのが、のぞいて立っている」と言うと、ここに大輔の君という女房が、「ああたいへん。姫君は、いつものように、虫をおもしろがりなさって、(外から見て)はっきり見えなさるだろう。お知らせ申し上げよう」と言って参上すると、(姫君は)いつものように、簾の外にいらっしゃって、毛虫を大騒ぎで、払い落とさせていらっしゃる。

いと恐ろしければ、~

いと恐ろしければ、近くは寄らで、「入らせたまへ。はしあらはなり」と聞こえさすれば、「これを制せむと思ひて言ふ」とおぼえて、「それ、さばれ、もの恥づかしからず」とのたまへば、「あな心憂こころう。そらごとと思しめすか。その立蔀のつらに、いと恥づかしげなる人、侍るなるを。奥にて御覧ぜよ」と言へば、「けらを、かしこに出で見て来」とのたまへば、立ち走りいきて、「まことに、侍るなりけり」と申せば、立ち走り、烏毛虫は袖に拾ひ入れて、走り入りたまひぬ。

(大輔の君は)たいそう(毛虫が)怖いので、(姫君の)近くには寄らないで、「(内に)お入りください。縁側は(外から)はっきり見える」と申し上げると、「これ【虫で遊んでいること】をやめさせようと思って言うのだ」と思われて、「それは【人目につくことなど】、どうとでもなれ。恥ずかしくなどない」とおっしゃると、「ああ情けない。嘘言とお思いになるか。そこの立蔀のそばに、たいそう立派な人が、いるのです。(虫は)奥でご覧ください」と言うと、「けらを【童のあだ名】、あそこに出て、見て来い」とおっしゃるので、(けらをは)立って走っていって、「本当に、いるのでした」と申し上げると、(姫君は)立って走り、毛虫を袖に拾い入れて、(奥に)駆け込みなさった。

たけだちよきほどに、~

たけだちよきほどに、髪もうちきばかりにて、いと多かり。すそもそがねば、ふさやかならねど、ととのほりて、なかなかうつくしげなり。「かくまであらぬも、世の常び、ことざま、けはひ、もてつけぬるは、くちをしうやはある。まことに、うとましかるべきさまなれど、いと清げに、けだかう、わづらはしきけぞ、ことなるべき。あなくちをし。などか、いとむくつけき心なるらむ。かばかりなるさまを」と思す。

身の丈はちょうどよいくらいで【高からず低からず】、髪も袿(の裾)くらいまで(の長さ)で、たいそう多い。髪の端も切りそろえていない【手入れしていない】ので、ふさふさしてはいないが、整っていて、かえってかわいらしく見える。「ここまで【の器量】でなくても、世間なみのことをして、容姿や、ものごしを、とりつくろったのは、残念であるか、いや、残念ではない【世間に評価される】。本当に、避けたいはずの様子【親しみようもない言動】であるが、たいそうきれいで、気品があり、気がひける感じは、格別であろう。ああ残念だ。どうして、(虫を好むなど)たいそう不気味な気性であるのだろう。これほどである【並々でない】様子なのに」とお思いになる。

右馬佐、

右馬佐、「ただ帰らむは、いとさうざうし。見けりとだに知らせむ」とて、畳紙たたうがみに、草のしるして、

烏毛虫の 毛深きさまを 見つるより とりもちてのみ 守るべきかな

とて、扇して打ち叩きたまへば、童べ出で来たり。

右馬佐は、「(このまま)ただ帰るとしたら、たいそう物足りない。(姫君を)見たとだけ知らせよう」と思って、畳紙【懐紙】に草の汁で、

毛虫の毛深い様子を見てからは、(あなたを)手に取り持って、ただ見守って世話したいことだなあ。

と詠んで、扇を叩きなさると【人をお呼びになると】、(中から)童が出てきた。

「これ奉れ」とて、~

「これ奉れ」とて、取らすれば、大輔たいふの君といふ人、「この、かしこに立ちたまへる人の、御前に奉れとて」と言へば、取りて、「あないみじ。右馬佐のしわざにこそあめれ。心憂こころうげなる虫をしも興じたまへる御顔を、見たまひつらむよ」とて、さまざま聞こゆれば、言ひたまふことは、「思ひとけば、ものなむ恥づかしからぬ。人は夢幻ゆめまぼろしのやうなる世に、たれかとまりて、しきことをも見、きをも見思ふべき」とのたまへば、いふかひなくて、若き人々、おのがじし心憂がりあへり。

「これを(姫君に)差し上げよ」と言って、取らせると、大輔の君という女房が、「あの、あそこに立っていらっしゃる人が、姫君に差し上げよということで」と言うと、(大輔の君は)取って、「ああひどい。右馬佐のしわざであるようだ。虫なんかをおもしろがっていらっしゃるお顔を、ご覧になったのだろうよ」と言って、あれこれ申し上げると、(姫君が)おっしゃることは、「悟ってしまえば、何事でも恥ずかしくはない。人は夢幻のようなこの世に、いったい誰がとどまって、悪いことを見て、よいことを見て、(それらの善し悪しを)考えられるか、いや、誰も善し悪しを判断できない」とおっしゃると、(これ以上に姫君にあれこれ)言っても仕方がなくて、若い女房たちは、めいめい【各自それぞれに】残念だと思い合った。

この人々、~

この人々、返さでやはあるとて、しばし立ちたまへれど、童べをもみな呼び入れて、「心憂し」と言ひあへり。ある人々は心づきたるもあるべし、さすがに、いとほしとて、

人に似ぬ 心のうちは 烏毛虫の 名をとひてこそ 言はまほしけれ

右馬佐、

烏毛虫に まぎるるまつの 毛の末に あたるばかりの 人はなきかな

と言ひて、笑ひて帰りぬめり。二のまきにあるべし。

この右馬佐たちは、(姫君が)返歌をしないことがあるか、いや、しないはずがないと思って、しばらく立っていらっしゃったが、童をもみな(中に)呼び入れて、「残念だ」と言い合っている。ある女房たちには、(返歌をしないのはよくないと)気づいた者もいるのだろう、(右馬佐を待たせたままでいるのは)そうはいってもやはり気の毒だと思って、(歌を代作して、)

世の人に似ない(私の)心のうちは、毛虫の名を問うようにあなたの名を尋ねてから、言いたいものだ。

(この歌を見て)右馬佐は、

毛虫と見まがうような(あなたの目のあたりの)毛の端ほども、(あなたに)匹敵するほどの人はいないのだ。

と言って、笑って帰ってしまったようだ。(この続きは)二の巻にあるはずだ。

続きが気になるから、はやく「二の巻」を訳してほしい。

それが・・・「二の巻」は現存しないのです。

続きを書こうとして書けなかったのかもしれませんし、書いたものが残っていないのかもしれません。

または、この「二の巻にあるべし」という言い回しが、「続きはみなさんで考えてね」というスタイルの「物語のおしまい」を意味するフレーズなのではないかとも言われています。