本文
後徳大寺大臣の、寝殿に、鳶ゐさせじとて縄を張られたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かは苦しかるべき。この殿の御心、さばかりにこそ。」とて、その後は参らざりけると聞き侍るに、綾小路宮のおはします小坂殿の棟に、いつぞや縄を引かれたりしかば、かの例思ひ出でられ侍りしに、まことや、「烏の群れゐて池の蛙をとりければ、御覧じ悲しませ給ひてなん。」と人の語りしこそ、さてはいみじくこそとおぼえしか。大徳寺にも、いかなるゆゑか侍りけん。
徒然草
現代語訳(口語訳)
後徳大寺の大臣が、寝殿に、鳶をいさせまいと縄をお張りになっているのを、西行が見て、「鳶がいたとして、何か不都合であるだろうか、いやそんなことはなかろう。この(家の)殿のお心は、その程度であるのだろう。」と言って、その後は、参上しなかったと聞きますが、綾小路宮がいらっしゃる小坂殿の屋敷の棟に、いつであったか縄をお引きになったので、その例のことをふと思い出しましたが、そういえば確か、「烏が群れていて池の蛙をとったので、(宮様が)ご覧になり悲しんでいらっしゃったので(縄をお引きになった)。」と人が語ったことは、それはたいそうすばらしいと思われた。大徳寺(の大臣)にも、どのような理由があったのでしょうか。
ポイント
いかなり 形容動詞(ナリ活用)
「いかなる」は、形容動詞「如何なり」の連体形です。
「如何(いか)」が「どう」ということを示しており、「いかなり」で、「どうである」「どのようだ」という形容動詞になります。
ただ、「いかなり」という終止形の使い方はほとんどなく、この本文のように、連体形「いかなる」の使い方か、連用形「いかに」の使い方が多いです。
ただ、連用形「いかに」は、用言を修飾して「どのように」「どうして」と訳すことがほとんどであるため、「副詞」ととらえてしまうほうが一般的です。
ゆゑ 名詞
「ゆゑ」は、名詞「故」です。
「理由」「わけ」「由緒」「いわれ」などの意味です。
類義語に「由(よし)」がありまして、「よし」も「理由」「由緒」「わけ」「いわれ」などと訳します。
ただ、「よし」よりも「ゆゑ」のほうが、第一級で正統な由緒を示すことが多く、「理由」と訳す場合でも、「ゆゑ」は「根源的な強い理由」を示しやすく、「よし」はシンプルな「いきさつ」や「成り行き」などを示しやすいと言えます。
侍り 動詞(ラ行変格活用)
「侍り」は、敬語動詞「はべり」の連用形です。
「這ひあり」が「はべり」になったと言われています。
尊い存在の近くで、「平伏してお仕えする」というイメージです。
補助動詞として用いられることが多く、その場合「丁寧語」と考え、「~です・~ます・~ございます」などと訳しますが、ここでは補助動詞ではありませんね。
単独で用いられている場合(補助動詞ではない場合)、
謙譲語 (お仕えする・おそばに控える)
丁寧語 (あります・おります・ございます)
のどちらかになります。
ここでは、貴人に仕えている場面ではありませんので、「丁寧語」と考えましょう。
けん 助動詞
「けん」は、助動詞です。ここでは「過去推量」の意味です。
助動詞「けん(けむ)」は、「過去」の助動詞「き」+「推量」の助動詞「ん(む)」であり、「過去推量」として「~たのだろう」「~ただろう」と訳すことが多いです。
丁寧語「はべり」+助動詞「けん」を、分解的に訳せば、「ございましたのだろう」「ありましただろう」などとなります。
もう少し自然な言い回しにすれば、「あったのでしょう」などと訳すことができます。
これは、「はべり」のもつ「丁寧の意味」を「表現のまとまり」の後方に持って行ってしまう訳し方です。
古文の丁寧語「はべり」「さぶらふ」は、文末にこないことも多いのですが、現代の日本語では、「丁寧表現」は文末に来ることが多いので、このように、途中にある「はべり」「さぶらふ」を、口語訳では「後方にずらす」という方法に慣れておくと便利ですよ。