奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき (猿丸大夫)

おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき

和歌 (百人一首4)

奥山おくやまに もみぢ踏み分け 鳴く鹿の こゑ聞く時ぞ 秋は悲しき

猿丸大夫 『古今和歌集』

歌意

人里離れた奥山で、散った紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、秋は悲しいものと感じられる。

作者

作者は「猿丸大夫」です。

三十六歌仙の一人ですが、実在が明らかでなく、伝説上の歌人ともいわれています。

この歌も『古今和歌集』の中で「詠み人知らず」になっていますが、『猿丸大夫集』にも収められているので、百人一首では「猿丸大夫の歌」としたようです。

いたかどうかわからない人なんだな。猿丸大夫は。

いたのは確かだと思うのですが……。

鴨長明『無名抄』には、猿丸大夫の墓についての記述がありますので、実在自体は信じられていたと思います。

複数のメンバーによるグループ名だったんじゃないかとか、柿本人麻呂のペンネームだったんじゃないかという説もあります。

ポイント

奥山に

「奥山」は、「人里離れた深い山」のことです。「深山みやま」という言い方もあります。

「奥山に」が「もみぢ踏み分け鳴く鹿」に係るのであれば、詠み手は少し離れた場所(人里)から鹿の鳴き声を聞いている解釈が成り立ちます。

一方、「奥山に」が、「声聞く時ぞ」に係るのであれば、詠み手は奥山で鹿の鳴き声を聞いてることになります。

そんなわけで「もみぢ踏み分け」も、「人」の行為なのか、「鹿」の行為なのか、解釈が分かれています。

一般的には、「奥山」で「鹿」が「紅葉」を「踏み分け」ているという解釈が多いです。

すると、詠み手は「鹿がもみぢを踏んでいる様子」は見ていないとも考えられますね。

その場合、鳴き声がするあたりに紅葉があることから、地面に敷かれた紅葉を鹿が踏んでいる様をイメージしているのでしょう。

もみぢ踏みわけ

「もみぢ」は、「黄葉」または「紅葉」と書きます。

『古今集』の時代には、「もみぢ」というのは「萩」の「黄葉」を意味しました。

ただ、定家の『新古今』の時代には、今と同じように「楓」の「紅葉」を指していたとも考えらています。

鳴く鹿の

秋は繁殖期でもあり、オスの鹿は、メスの鹿を求めて「ピイィー」と鳴きます。

それがせつなさを感じさせ、秋の季語として扱われました。

詠み手が、妻や恋人を恋しく思う気持ちと重なって、「せつなさ」の象徴となっていきました。

声聞くときぞ秋は悲しき (係り結び)

係助詞「ぞ」と、形容詞「悲しき」が「係り結び」になっています。