吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ (文屋康秀)

ふくからに あきのくさきの しをるれば むべやまかぜを あらしといふらむ

和歌 (百人一首22)

吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ

文屋康秀 『古今和歌集』

歌意

吹くとすぐ、秋の草木がしおれるので、なるほどそれで山風を「嵐」と言うのであろう。

作者

作者は「文屋康秀ふんやのやすひで」です。六歌仙の一人、また三十六歌仙の一人です。

小野小町と親交が深かったと伝えられています。

「六歌仙」って有名なやつだな。

紀貫之が『古今和歌集』の「仮名序」で少し悪口を言った六人ですね。

悪口を言ってるのに「歌仙」なんだ。

「近き世に、その名聞こえたる人」と紹介したうえでの悪口ですので、ある意味ではスーパースターの「ここがちょっとなあ」というところをあえて言っているような感じですね。

ホームランの飛距離に文句つけてるようなもんだな。

文屋康秀は古今集の「仮名序」で、「言葉は巧みにて、そのさま身に負はず。いはば、商人のよき衣着たらむがごとし」と言われていますね。

「言葉は上手だが、その内容は姿ほどではない。言うならば、商人が立派な衣服を着ているようだ」ということですね。

「中身がないのに表現だけは立派だ」って言っているわけか。

「ちょっとした悪口」っていうわりには、まあまあ辛辣だね。

そうですよね・・・。

なお、古今和歌集の詞書によると「是貞親王の家の歌合」で詠んだ歌のようです。

是貞親王は、光孝天皇の皇子で、宇多天皇のお兄さんになります。

かなり格式高い会合ではないか。

だからこそ気合も入って、「山の風が秋の草木を【荒らし】ていくから、【山+風】で【嵐】と言うのだろう」っていう、みんなが「ほほう!」っていうようなテクニカルな歌を作ったのでしょうね。

ポイント

吹くからに

「からに」は、格助詞「から」+接続助詞「に」ですが、まとめて1つの接続助詞と考えてOKです。

「~するとすぐに」「~するやいなや」という意味です。

秋の草木の

「秋」は「文月・葉月・長月」を指しますが、「強い風」が吹いて、「草木」が「しをる」ことを考えると、「冬の手前」の歌だと考えるのが妥当です。

江戸時代の川柳に「康秀は二百十日に一首詠み」というものがありまして、そこから考えると、この歌は9月(長月)の歌だとされています。

立春から210日目はちょうど9月1日ごろにあたりまして、このころに吹く風は「台風」かもしれません。

しをるれば

「しをるれ」は、下二段動詞「しをる」の已然形です。

「已然形」+接続助詞「ば」は、「確定条件」と考えますので、「草木がしおれるので」と訳します。

むべ山風を

「むべ」は「感動詞」です。

「うべなふ(むべなふ)」の「うべ(むべ)」と同じ意味であり、「肯定」や「納得」を意味します。

「うべ」や「むべ」で感動詞として使用している場合、「なるほど」と訳すことが多いですね。

嵐といふらむ

「嵐」は、「あらし」と「荒らし」の「掛詞」です。

さきほど出てきた「山」と「風」を足すと「嵐」という字になると言っているのであり、かつ、草木を「荒らし」てしまうので「あらし」と言うのだろう、と詠んでいるのですね。

機知に富んだことば遊びです。

「仮名序」で指摘されているとおり、技巧はすごいんだろうね。

技巧がスゴイから、心がこもっていないように見えちゃったのかもね。

ああ~。

「何か痛切な気持ちを訴えたい」というよりは、「すごい言い方を思いついたよ」っていう「技術優先」のイメージがついちゃったのかな。

「古今集」の「仮名序」を書いた紀貫之からしてみると、そんなふうに感じたのかもしれませんね。

さて、最後の「らむ」は、助動詞「らむ」の終止形です。

「らむ」には、主に「現在推量」「現在の原因推量」の用法がありますが、ここでは「嵐という字の生成の理由を推量している」ことになりますので、「現在の原因推量」になります。

「現在の原因推量」にも、細かく分けると次の3つのパターンがあります。

(ア)~からだろう・~からなのだろう *かくれた理由を考えている
(イ)どうして~なのだろう *眼前の現象のかくれた理由を問うている
(ウ)(~だから)~なのだろう *眼前の現象のかくれた理由を挙げている

この歌については、(ウ)になりますね。

くわしくはこちらをどうぞ。