思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり (道因法師)

おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり

和歌 (百人一首82)

思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり

道因法師 『千載和歌集』

歌意

つれない人を思い悩み、それでもやはり(死にもせず)命はまだあるのに、つらさに耐えられないのは(流れ落ちる)涙であったよ。

作者

作者は道因法師です。藤原敦頼あつよりという人で、崇徳天皇に仕え、朝廷の馬の世話をする仕事などをしていました。

毎月住吉大社まで徒歩で参詣して、和歌の上達を祈願したそうですよ。

老齢で出家して延暦寺に住んだといわれています。

住吉大社って船旅系の神様じゃないの?

万葉集の時代から歌に詠まれている場所なので、いつしか和歌の神様みたいな扱いになったんでしょうね。

遣唐使の停止に伴って、「航海の祈願」をする機会が減ったこともあって、和歌の神様としての性格が濃くなっていったとも言われています。

さんざんお参りして和歌が上達していったんだな。

ちなみに道因の死後、藤原俊成が千載集に道因の歌を18首入れたら、俊成の夢に道因が出てきて泣いて喜んだらしいですよ。

まあそんなに入れてもらったらあの世からあいさつにくるよね。

それで俊成はあとふたつ追加したそうです。

夢に出てきてみるもんだな!

ポイント

思ひわび

「おもひわぶ」は「思い嘆く・思い悩む」という意味です。

「わぶ」は補助動詞で用いると、「~しかねる」「~しづらくなる」という意味で用います。ここでは「思いどおりにいかなくて……」というニュアンスがありますね。

さても命は

「さても」は「さありても」がつまった表現です。

「そうであっても(やはり)」という意味になります。

「さ」は「思ひわび」をさしていますね。

「嘆き悲しんでいても命はある~」ということですね。

あるものを

「ものを」は「逆接」の接続助詞です。

「あるものなのに」「あるものだが」という意味です。

憂きにたへぬは

「憂き」は、形容詞「憂し」の連体形ですね。

直後に「こと」などが省略されています。

「たへ」は、動詞「耐ふ」の未然形です。

「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形です。

「つらいことに耐えられないのは」と訳します。

涙なりけり

「なり」は「断定」の助動詞「なり」の連用形です。

「けり」は「詠嘆」の助動詞「けり」の終止形です。

「けり」は基本的に「地の文」にあるときは「過去」、「和歌や会話」にあるときは「詠嘆」の意味でとりましょう。