しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで (平兼盛)

しのぶれど いろにいでにけり わかこひは ものやおもふと ひとのとふまで

和歌 (百人一首40)

しのぶれど 色にいでにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで

平兼盛 『拾遺和歌集』

歌意

つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。

作者

作者は「平兼盛かねもり」です。三十六歌仙のひとりです。

「天暦の御時の歌合」にて、「壬生忠見」と歌を競い合ったという逸話が有名です。

ああ~。

敗れた壬生忠見が気落ちして、ついには亡くなったというやつか。

そうです。

なんというか、申し訳ない。

でも、近世では賀茂真淵たちが忠見の歌のほうがよいって言ってたらしいよ。

え、よっしゃ。

どちらの歌も名作ですね。

兼盛のこの作品は、『沙石集』では「つつめども」という初句になっていますが、意味内容は同じです。

ちなみに、二人が同じ場で詠んだ歌は、百人一首では40番目と41番目に採用されています。

ポイント

しのぶれど

「忍ぶ」は、「心に秘める」「隠す」ということです。

恋心をつつみ隠していたのですね。

前述したように、『沙石集』でこの歌が取り上げられているところでは、「つつめども」になっています。

色にいでにけり

ここでの「色」は、顔色や表情のことです。

「に」は「完了」の助動詞「ぬ」の連用形で、「けり」は「詠嘆(気づき)」の助動詞「けり」の終止形です。

「顔色や表情に出てしまっていたのだなあ」ということですね。

わが恋は

倒置法です。

意味的には「しのぶれど」の前に入ります。

物や思ふと

恋の歌なので、ここでの「思ふ」は「恋わずらい」のようなものですね。

人の問ふまで

倒置法です。

下二句の「物や思ふと人の問うまで」が、通常の文であれば「色に出でにけり」の前に出ます。

つまり、この歌の中には「倒置法」が二重に使われています。

普通の文だったら、

わが恋はしのぶれど物や思ふと人の問ふまで色にいでにけり

となるもんね。

そうですね。

『沙石集』によれば、壬生忠見は、この歌の「ものや思ふと人の問ふまで」のところに「あは」と思って、自分の歌が情けなくなって、ものを食べられない病になってしまったそうです。

歌が原因で病になったというのは史実にはない創作だと思いますが、それくらい歌に情熱を持っていたのでしょうね。

最初に聞いたときにはまさに「あは」と思いましたね。

「あは」って何?

英語の感嘆表現である「Aha!」のことかな。

「あはれ」の「あは」でしょうね。

ただ、英語の感嘆表現の「Aha!」も同じように「驚き、発見。感動」などの意味で用いますね。おもしろいですね。

まあ、どちらも成り立ちが「嘆息」そのものだから、同じような使い方をするのでしょうね。