雪のいと高う降りたるを 『枕草子』 現代語訳

『枕草子』より、「雪のいと高う降りたるを」の現代語訳です。

「香炉峰の雪」の問いかけで有名な箇所です。

雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、~

雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭櫃に火おこして、物語などして集まりさぶらうに、「少納言よ。香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。

雪がたいそう高く降り積もっているのに、いつもとは違って御格子を下ろし申し上げて、炭櫃に火をおこして、(女房たちが)世間話などをして集まっておりますと、(中宮様が)「少納言よ。香炉峰の雪はどうであろう。」とおっしゃるので、(人に)御格子を上げさせて、御簾を高く上げたところ、(中宮様は)お笑いになる。

人々も、~

人々も、「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそ寄らざりつれ。なほ、この宮の人にはさべきなめり。」と言ふ。

女房たちも、「そのようなこと(白居易の漢詩)は知っていて、歌などにまで歌うけれど、(御簾を実際に高く上げるとは)思いもよらなかった。やはり、(清少納言は)この中宮様にお仕えする人としてはふさわしいようである。」と言う。

最後の部分は、「この中宮様にお仕えする者としてふさわしいふるまいのようである」などと訳すこともできます。

元ネタになっている白居易の七言律詩に、「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」という一節があります。

中宮定子の「香炉峰の雪はどうでしょうねえ?」という問いかけに、清少納言は「御簾を高く上げる」という「行動」をして、詩のとおりにふるまったわけですね。

女房たちも、この詩のことは知っていたのですけれど、唐突にパッと「香炉峰の雪は・・・」と問いかけられたときに、深く考え込みもしないで、サッと「御簾を上げる」という「行為」を選択できるのは、機転が利いていることに他なりません。

こういうところで、清少納言は、中宮定子からも女房たちからも一目置かれていったのですね。