今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかくおぼゆるにや。(徒然草)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

名を聞くより、やがて面影は推しはからるる心地するを、見るときは、また、かねて思ひつるままの顔したる人こそなけれ。昔物語を聞きても、このごろの人の家の、そこほどにてぞありけんとおぼえ、人も、今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかくおぼゆるにや

徒然草

現代語訳

名前を聞くやいなや、すぐに(その人の)顔つきが推し量られるような気持ちがするが、(実際にその人に会って)見るときは、また、前々から想像していたとおりの顔をしている人はいないものである。昔の物語を聞いても、(物語に出てくる場所について)現在のあの人の家の、あそこあたりであっただろうと思われ、(物語に出てくる)人も、現在会う人の中に自然となぞらえるのは、(私だけでなく)誰もこのように感じられるのであろうか

ポイント

思ひよそふ 動詞(ハ行下二段活用)

「思ひよそへ」は、動詞「思ひ寄そふ(思ひ準ふ)」の未然形です。

「重ね合わせて考える」「なぞらえる」「連想する」などと訳します。

らる 助動詞

「らるる」は、助動詞「らる」の連体形です。

「思ひよそふ」という「無意識的動作」についているので、「自発」と考えるのが適切です。「自然と~」「ふと~」などを添えて訳しましょう。

「可能」と考えて、「現在会う人の中になぞらえることができるのは」と訳すこともできます。

「る」「らる」の「可能」の意味は、多くの場合、下に打消表現を伴って、まとまりとしては「できない」という文脈で用いられますが、鎌倉時代には「できる」という文脈でも使用例が増えてきており、『徒然草』でも複数回使用されています。

おぼゆ 動詞(ヤ行下二段活用)

「おぼゆる」は、動詞「覚ゆ(おぼゆ)」の連体形です。

上代の助動詞「ゆ」は「自発・可能・受身」などを意味しました。その名残がある動詞であり、多くの場合「自発」の意味を込めて、「思われる」「感じられる」などと訳します。

なり 助動詞

「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形です。

「体言(or活用語の連体形)」+「に」+「あり」

となっている場合、その「に」は、断定の助動詞「なり」の連用形だと判断します。

注意点は、次の3つです。

(a)「あり」は、「おはす」「はべり」などの敬語表現(敬意を抜けば「あり」の意味)のときがある。

(b)「に」と「あり」のあいだに、「て」「ぞ」「も」「こそ」「や」などといった助詞がある事が多い。

(c)「~にてあり」の「あり」、「~にやあらむ」の「あらむ」などは省略されやすい。

ここでは、(c)のパターンで、「誰もかくおぼゆるにやあらむ。」の「あらむ」が省略されています。

や 係助詞

「や」は、係助詞です。「疑問」か「反語」になりますが、文脈上、シンプルに疑問を抱いていますので、「疑問」と考えて、「~か」と訳します。