「その御顔はいかになり給ふぞ」ともえ言ひやらず。(堤中納言物語)

〈問〉傍線部を現代語訳せよ。

この男、「あからさまに」 とて、今の人もとに、昼間に入り來るを見て、女、「にはかに殿おはすや」と言へば、うちとけて居たりけるほどに、心騷ぎて、「いづら、いづこにぞ」 と言ひて、櫛の箱を取り寄せて、白き物をつくると思ひたれば、取りたがへて、はいずみ入りたる畳紙を取り出でて、鏡も見ず、うちさうぞきて、女は、「そこにて、しばしな入り給ひそと言へ」とて、是非も知らずさしつくるほどに、男、「いととくも疎み給ふかな」とて、簾をかき上げて入りぬれば、畳紙を隠して、おろおろにならして、口うちおほひて、したてたりと思ひて、まだらにおよび形につけて、目のきろきろとしてまたたき居たり。男、見るに、あさましう、めづらかに思ひて、いかにせむと恐ろしければ、近くも寄らで、「よし、今しばしありて參らむ」とて、しばし見るも、むくつけければ、往ぬ。女の父母、「かく来たり」と聞きて来たるに、「はや出で給ひぬ」といへば、いとあさましく、「名残なき御心かな」とて、姫君の顔を見れば、いとむくつけくなりぬ。おびえて、父母も倒れふしぬ。女、「などかくのたまふぞ」 といへば、「その御顔はいかになり給ふぞ」ともえ言ひやらず

現代語訳

この男は、「ほんのちょっと(行こう) 」と思って、新しい妻のもとに、 昼間に入って来たのを見て、女は、「突然殿がいらっしゃいましたよ」と言うので、くつろいでいたところなので、あわてて、「どう、 どこに(化粧箱はあるのか)」と言って、櫛の箱を取り寄せて、おしろいをつけると思ったところ、取り間違えて、はいずみが入った畳紙を取り出して、鏡も見ないで、飾り立てて、女は、(男に)「そこにいて、しばらく、お入りにならないでくださいと言っておくれ」と(侍女に)言って、夢中になって(化粧をして)いる。男は、「たいそう早く疎みなさることだ」と言って、簾をかきあげて入ったところ、(女は)畳紙を隠して、(はいずみを顔に)おおざっぱにならして、口を隠して、(化粧を)完成させたと思って、まだらに指の形を(顔に)つけて、目をきょろきょろさせて、まばたきをして座っていた。男は、(この様子を)見ると、驚きあきれて、風変わりだと思って、(この場を)どうしようと恐ろしくなったので、近くにも寄らないで、「よし、もう少ししてから参ろう」と言って、少しの間(女を)見るのも、不快であるので、(その場から)去った。女の父母が、(男が)こうして来たと聞いてやって来たが、「もう退出なさいました。」と言うので、驚きあきれて、「冷淡な心だなあ」と思って、姫君の顔を見れば、たいそう不気味であった。こわがって、父母も倒れ込んでしまった。娘が、「どうして、そのようにおっしゃるのか」と言うのではあるが、「その顔は、どうなさったのか」ともはっきり言うことができない【言い切ることができない】

ポイント

いかに 副詞

「いかに」は、「副詞」です。ここでは、「どう・どのように」などと訳します。

娘の顔が真っ黒で、指のあとがついていて、目をきょろきょろさせているわけですから、親は何が起きているのか意味不明なのですね。

「それ、どうしたの?」と聞くことすらできないよね。

給ふ 動詞(ハ行四段活用)

「給ふ」は、動詞「給ふ」の連体形です。四段活用の「給ふ」は尊敬語です。

動詞「なる」についている補助動詞なので、「お~になる」「~なさる」などと訳します。

え 副詞 (~打消表現)

「え~打消表現」は「不可能」を意味し、「~できない」の意味になります。

たとえば、

行か

であれば、

(とても)行くことができない

などと訳します。

上代ではむしろ「上手にできる」ことを意味していたようですが、中古以降は下に打ち消し表現を伴い、「(とても)~できない」「(うまくは)~できない」と訳すことが多くなりました。「とても・うまくは」などという表現は、なくても問題ありません。

やる 動詞(ラ行四段活用)

「やら」は、動詞る」の未然形です。

「遣る」は、本動詞の場合、「行かせる」「送る」などと訳します。

何か別の動詞につく場合、補助動詞と考えます。補助動詞の場合は、

a.遠くまで~する。(はるかに~する)
b.最後まで~する。(すっかり~する/~しきる)

などと訳します。

「遣る」は「向こうのほうまでやる」という意味合いになるので、補助動詞として使用する場合、a.b.のような訳になります。

ず 助動詞

「ず」は、「打消」の助動詞「ず」の終止形です。