同格の「の」「が」について ―「で」「であって」と訳し、2回目の体言を補う。―

「同格」の「の」「が」の訳し方が難しい。

格助詞「の」「が」の「同格」の用法は、「で」または「であって」と訳します。

同格用法は圧倒的に「の」を使うことが多いのですが、「が」が「同格」の役割を果たすこともありますね。

とりあえず、典型的な例文を見ておきましょう。

例文その1

夢にいと清げなる、黄なる地の袈裟着たるが来て、

(訳)夢にたいそう清らかにみえる【であって】、黄色い生地の袈裟を着ているが来て、

ほう。

「いと清げなる」も

「黄なる地の袈裟着たる」も

「僧」という体言を修飾しているのだけれども、

古文のほうではその「2回目の体言」が書かれていないということか。

「2回目の体言」がそのまま書かれているケースもありますが、省略されるケースのほうがずっと多いですね。

例文その2

白きはしあしと赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。

(訳)白い【であって】、くちばしと脚が赤く、鴫くらいの大きさであるが、水の上に遊びながら魚を食べている。

なるほど、こうやって「古文では書かれていない2回目の体言」を、現代語訳では書いてあげればいいのか。

例文その3

桜の、いみじうおもしろき五尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、

(訳)桜で、たいそうすばらしい【であって】、五尺ばかりであるを、(瓶に)たくさん挿してあるので、

そうです。

これらの例に出てくる「僧」「鳥」「枝」などという体言などは、2回書いても文字数を圧迫しませんから、字数制限のある記述問題であっても、そのまま2回書くことをおすすめします。

体言の文字数が多くて、「2回書くのがたいへん」という場合には、「人」「方」「者」などというように、意味的に一致する別の体言にしてしまうやり方もあります。

「の」というひらがなにしてしまう手もありますね。

たいそうすばらしい、五尺ばかりであるを、

っていうことか?

そうです。

「2回目」の体言を「の」にしてしまう選択肢はけっこうありますよ。

記述問題でこのやり方をしても、特に減点はされません。

「1回目」の体言のあとを「で」「であって」と訳しておけば、そこでの「の」が同格であるということを理解していることになりますから、「2回目」に書くべき体言の処理は、いくつかの方法があるということです。

いと大きなるにんじんの、色いみじう濃きが、畑にあるべし。