
ほととぎす なきつるかたを ながむれば ただありあけの つきぞのこれる
和歌 (百人一首81)
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有り明けの 月ぞ残れる
後徳大寺左大臣 『千載和歌集』
歌意
ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、(ほととぎすの姿はすでになく)ただ有明の月が空に残っている。
作者

作者は藤原実定です。おじいさんは徳大寺家をおこした藤原実能で「徳大寺左大臣」として有名でした。

三条家、西園寺家とならぶ徳大寺家だな。

そうです。
ちなみに、実定のお母さん(豪子)の兄弟に藤原俊成(定家のお父さん)がいるので、実定と定家はいとこにあたります。
さて、この歌の作り手である実定は、おじいさんと同じ左大臣になるのですが、「大徳寺左大臣」という呼び方だとおじいさんとまるかぶりしてしまうので、「後大徳寺左大臣」と呼ばれました。

おとうさんは大徳寺左大臣ではなかったの?

お父さん(公能)は右大臣でした。
ポイント
ほととぎす

夏の鳥として、多くの詩歌に登場します。夏の早朝に鋭い声で鳴く鳥ですね。
小倉百人一首にはこの一首のみ登場します。
鳴きつる方を

「つる」は「完了」の助動詞「つ」の連体形です。
ただ、ここは「たしかに鳴き声がする(と思う)」という「たしかさ」に意味の重点があるので、「確述・確認」という意味でとる文法書もあります。
ながむれば

下二段動詞「ながむ」の已然形+接続助詞「ば」です。
已然形+「ば」は「確定条件」を意味しますので、「眺めると」などと訳します。
「ながむ」は、「眺める」「物思いにふける」「(うたを)口ずさむ」などの意味がありますが、ここは「眺める」でいいですね。
ただ有り明けの

「有り明けの月」は、「夜が明けても空に残っている月」のことです。
月は15日(望月)を過ぎると右側から欠けていき、空に出てくるのが次第に遅くなります。ということは、夜が明けても空に残っている姿がよく見えるのですね。
実際には月下旬の「下弦の月」を過ぎて、そろそろすべて欠けてしまいそうな月を「有明月」と呼ぶことが多いですね。
月ぞ残れる

「る」は、「存続・完了」の助動詞「り」の連体形です。
「係助詞」の「ぞ」があるために、結びが連体形になっているのですね。
「ら・り・る・れ」といったひらがなが「助動詞」であるとき、その直前の音が「e音」である場合、その「ら・り・る・れ」は「存続・完了」の助動詞「り」が活用したものです。