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つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど
和歌 (百人一首23)
月みれば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
大江千里 『古今和歌集』
歌意
月を見ると、さまざまに際限なく、もの悲しく感じられるなあ。私一人だけの秋ではないのだけれど。
作者
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作者は「大江千里」です。
お父さんは「大江音人」で、そのお父さんは阿保親王という説があります。
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阿保親王は、在原行平・業平兄弟のお父さんではないか。
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その説にしたがえば、千里は、行平・業平の甥っ子ということになりますね。
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そりゃあ、歌も上手でしょうね。
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大江千里は文章博士という漢学の専門職に就いていましたので、漢詩にも精通していました。
この歌も、白居易『白氏文集』にある「燕子楼」という詩の一節「燕子楼中霜月の夜 秋来つて只一人の為に長し」によったとされています。
「千々(ちぢ)」と「ひとつ」の対比などは、漢詩の対句のような構成になっていますね。
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ほほう。
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なお、この歌も、「是貞親王の家の歌合」で詠んだ歌のようです。
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文屋康秀も呼ばれた会合だね。
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紀貫之、紀友則、壬生忠岑、藤原敏行らの名前もありますので、相当な豪華メンバーですね。
この歌合せを基礎にして、『新撰万葉集』が成立しています。
ポイント
月見れば
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「見れば」は、「見る」の已然形「見れ」+接続助詞「ば」です。
已然形+「ば」は「確定条件」として訳しますので、「月を見ると」「月を見るので」などとなります。
ちぢにものこそ
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「ちぢ」は「千々」であり、「数が多いこと」を意味します。
「ちぢに」のかたちで、「さまざまに」「際限なく」などと訳します。
「こそ」は係助詞です。
悲しけれ
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「悲しけれ」は、形容詞「悲し」の已然形です。
上に「こそ」がありますので、係り結びの「結び」として已然形になっています。
「かなし」は、主に「かわいい」系と「悲しい」系の意味がありますが、「悲」の漢字で書かれているものはシンプルに「悲しい」としておけばOKです。
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ここでいったん結びになりますので、三句切れです。
わが身ひとつの
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「わが身」は「我が身」であり、「私の身体」のことです。
「わが身ひとつ」で、「私の身体一つ」という訳になりますが、端的に「私一人」と訳してもいいですね。
「千々に」との対句的な対応を考えて「ひとつ」という表現にしていると考えられますが、訳は「一人」でOKです。
秋にはあらねど
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「ね」は、「打消」の助動詞「ず」の已然形です。
「ど」は、逆接の接続助詞です。
したがって、「秋ではないけれど」という訳になります。
歌全体の文脈としては、「私一人の秋ではないけれど、月を見ると際限なくもの悲しい」ということになりますので、「上の句」と「下の句」で「倒置」が起きていることになりますね。
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きっぱり書いてはいないけれども、「私だけが悲しく思う秋ではない(みんなにとって秋は悲しい)」って言っているようにも聞こえるね。
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そうですね。
「秋が悲しい」とする感覚については、平安時代初期に、漢詩文の影響でそう感じるようになったとも言われます。
そう言われるくらい、もともと漢詩のほうに「秋=悲しい」というする素地がありました。
文章博士であった大江千里は、この歌の形式面も漢詩にならって詠んだようですが、感覚面でも漢詩の影響を受けている歌だといえると思います。