「三つをば奉らむ。」といひて、既に分かつべかりけるとき、(沙石集)

次の傍線部を現代語訳せよ。

唐土にいやしき夫婦あり。餅を売りて世を渡りけり。夫の道の辺りにして餅を売りけるに、人の袋を落としたりけるを見ければ、銀の軟挺六つありけり。家に持ちて帰りぬ。妻、心すなほに欲なき者にて、「我等は商うて過ぐれば、事も欠けず。この主、いかばかりなげき求むらむ。いとほしき事なり。主を尋ねて返し給へ。」といひければ、「誠に。」とて、あまねくふれけるに、主といふ者出で来て、これを得て、あまりにうれしくて、「三つをば奉らむ。」といひて、既に分かつべかりけるとき、思ひ返して、わづらひを出ださんが為に、「七つこそありしに、六つあるこそ不思議なれ。一つをば隠されたるにや。」といふ。「さる事なし。もとより六つこそありしか。」と論ずるほどに、果ては、国の守のもとにして、これを断らしむ。

沙石集

現代語訳

中国(唐に)に身分の低い夫婦がいる。餅を売って生計を立てていた。夫が道端で餅を売っていたところ、人が【誰かが】袋を落としたのを(拾って)見たところ、銀の軟挺【貨幣】が六枚あった。家に持って帰った。妻は、心が素直で欲のない者で、「私たちは商売をして過ごしているので、(生活には)事欠かない【困ることはない】。この落とし主は、どれほど嘆いて探しているだろう。気の毒なことである。落とし主を探してお返しなされ。」と言ったので、(夫も)「まったくだ。」と言って、広く人に告げ知らせたところ、落とし主という者が出て来て、これを手にして、あまりにうれしくて、「三枚を差し上げよう。」と言って、今まさに分けようとしたとき、考え直して、面倒事を起こそうとするために、「七枚あったのに、六枚あるのは不思議である。一枚は隠されているか。」と言う。「そんなことはない。もとから六枚あった。」と言い争ううちに、ついには、国の守のところで、これを判定させる。

ポイント

奉る 動詞(謙譲語)

「奉ら」は、動詞「奉る」の未然形です。謙譲語です。

「奉る」は、本動詞で使う場合、「差し上げる」と訳します。

古文の用例としては補助動詞のほうをよく目にしますが、ここは直前に補助対象の動詞がないので、「本動詞」です。

む 助動詞

「む」は、助動詞「む」です。

文末に用いられている「む」は、多くの場合「意志(~しよう)」か「推量(~だろう)」になります。

ここでは「発言者自身の行為(一人称の行為)」に用いているので、「意志」になります。

既に 副詞

「既に」は副詞です。

現代語と同じように、「もはや・とっくに・もう」という意味になりやすい副詞ですが、「意志や推量の助動詞」とセットになると、「今まさに」「今にも」という意味になります。

ここでは後ろに「べし」がりまして、文脈としても「もはや・とっくに」という意味にはなりませんので、「今まさに」「今にも」と訳します。

なお、「すでに」の後ろに「断定の助動詞」がある場合には、「まさしく」「まさに」などと訳すことが多くなります。

べし 助動詞

「べかり」は、助動詞「べし」の連用形です。

「べし」は、「推量」「意志」「可能」「当然」「命令」「適当」など、多岐にわたる意味に区別されます。

ここでは、「落とし主」が銀貨を分けようとしている場面なので、「意志」と考え、「分けようとした」と訳します。

べしの連用形には「べく」と「べかり」がありますが、直後に助動詞がつづくときには、原則的に「べかり」になります。

ここでは直後に過去の助動詞「けり」がありますので、「べかり」になっています。