意味
(1)すべて・すっかり
(2)もはや・とっくに・もう *多く「完了」や「過去」を伴う
(3)今まさに・今こそ *多く「推量」や「意志」を伴う
(4)まさしく・まさに *多く「断定」を伴う
ポイント

「ことが落ち着く」という意味の「澄む」に「て」「に」がついて、やがて「すでに」という表現になったという説があります。
そのことから、古い時代には(1)の意味で用いられました。
漢文の「既」を訓読する際にこの「すでに」を用いたので、「既」の文字が担っていた(2)の意味でも用いられるようになったようです。

今でも「もはや・とっくに」の意味で使うもんな。

この「もはや・とっくに」という意味では、その事態が完了(現実化)していることになりますね。
すると、その「完了(現実化)のニュアンス」によって、その事実が「たしかである」「たしかにそうである」「たしかにそうなる」という「確実さ」を強調するものとして使用されるようにもなりました。
(3)の使い方は、「たしかにそれが実施されるだろう」という意味で用いられています。
また、(4)は、「これこそまさに○○である」というように、「実例が確かに存在する」という意味合いで用いられています。

ああ~。
(2)「もはや・とっくに」は、現在の使い方と同じなわけだから、(3)「今まさに」とか、(4)「まさしく」といった使い方のほうが、古文の問題としては要注意だな。

すでに主のいふべきなり。
(まさしくあなたの言うとおりである。)
例文
盗人はすでに射落としてけり。(今昔物語集)
(訳)盗人はもはや射落とした。
一の谷の後ろ鵯越にうち上がり、すでに落とさんとしたまふに、(平家物語)
(訳)(義経は)一の谷の後方の鵯越に登り、今まさに(馬を)落とそうと【馬で駆け降りようと】しなさると、
この少将はすでにかの大納言が嫡子なり。(平家物語)
(訳)この少将【藤原成経】はまさしくあの大納言【藤原成親】の嫡子である。

「すでに」は、和文ではあまり用いられず、『平家物語』のような和漢混交文でよく用いられました。