(問)傍線部を現代語訳せよ。
和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるを、小式部内侍、歌詠みにとられて、歌を詠みけるに、定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなく思すらむ。」と言ひて、局の前を過ぎられけるを、御簾より半らばかり出でて、わづかに直衣の袖を控へて
十訓抄
大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天の橋立
と詠みかけけり。
思はずに、あさましくて、「こはいかに、かかるやうやはある。」とばかり言ひて、返歌にも及ばず、袖を引き放ちて逃げられけり。小式部、これより、歌詠みの世におぼえ出で来にけり。
現代語訳
和泉式部は、藤原保昌の妻であって、丹後の国に下ったときに、京で歌合があったのだが、(和泉式部の娘の)小式部内侍が、歌の詠み手に選ばれて、歌を詠んだのを、定頼の中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いたところに、「丹後におやりになった人は(ここに)参上したか。どんなにじれったく(気がかりに・不安に)お思いになっているだろう。」と言って、局の前を通り過ぎられたところ、(小式部内侍は)御簾から半分ほど身を乗り出して、ほんの少し(定頼の中納言の)直衣の袖を引き止めて、
大江山を越えて 生野へ行く道が遠いので 天の橋立を踏んだこともないし 母からの手紙もまだ見ていない
と詠んで返歌を求めた。
(定頼の中納言は)思いがけないことで、驚きあきれるほどで、「これはどういうことか。このようなことがあるものか、いやない」とだけ言って、返歌もできずに、袖を引き放ってお逃げになった。小式部内侍は、これ以降、歌詠みの世界で評判が出てきた。
ポイント
いかに 副詞
「いかに」は、主に3つの訳し方があります。
① 「どのように」「どんなふうに」 *状態・性質・方法などを問う
② 「どうして」「なぜ」 *原因・理由を問う
➂ 「どんなにか」「さぞかし」 *程度を問う(程度を強調する)

もともとは①の使い方が主流で、これは形容動詞「いかなり」の連用形だと考えられます。
いずれ、②や③の使い方が出てきました。②や③の用法は、「状態・性質・方法」を問うているわけではありませんし、「いかに」のかたちで固定されていますので、「副詞」に分類されています。
さて、この場面では、小式部内侍の「不安」の程度を問うている(強調している)ので、「どんなにか」「さぞかし」などと訳しましょう。
こころもとなく 形容詞
ク活用の形容詞「こころもとなし」の連用形です。

漢字で書くと「心許無し」です。
期待や願望がなかなか満たされないもどかしさを意味しています。
思うようにいかない事物の「様子」を形容している場合は、「ぼんやりしている」「はっきりしない」などと訳します。
そういった、思うようにいかない事態に際した「心の動き」を形容している場合は、「じれったい」「気がかりだ」「不安だ」などと訳します。
ここでは後ろに「思す」がありますので、「心の動き」のほうで訳すとよいですね。
思す 尊敬語
「おぼす」と読みます。
尊敬語であり、「お思いになる」と訳します。

「思す」と「思ふ」は別々の動詞なので、区別しましょう。
「おぼす」は「お思いになる」であり、「おもふ」はシンプルに「思う」です。
らむ 助動詞
助動詞「らむ」です。
意味は主に3つです。
① 現在推量 ~ているだろう
② 現在の原因推量 ~ているのだろう
③ 現在の伝聞・婉曲 ~とかいう・~ような

「らむ」の直前の動詞そのものが推量の対象なのであれば、①の意味です。
「らむ」の直前の動詞が眼前にあり、その原因のほうを推察しているのであれば、②の意味です。
「らむ」が「文中連体形」で使用されている場合は、③の意味です。
ここでは、「思すらむ」となっており、「らむ」の直前は「思す」です。
状況としては、定頼の中納言が、小式部内侍の「心の中」を推量していることになりますね。「心の中」は目に見えておらず、それそのものが推量の対象なので、①の使い方になります。「お思いになっているだろう」と訳しましょう。