いかに心もとなく思すらむ。(十訓抄)

(問)傍線部を現代語訳せよ。

和泉式部、保昌が妻にて、丹後に下りけるほどに、京に歌合ありけるを、小式部内侍、歌詠みにとられて、歌を詠みけるに、定頼の中納言たはぶれて、小式部内侍ありけるに、「丹後へ遣はしける人は参りたりや。いかに心もとなくおぼすらむ。」と言ひて、局の前を過ぎられけるを、

十訓抄

現代語訳

和泉式部は、藤原保昌の妻であって、丹後の国に下ったときに、京で歌合があったのだが、(和泉式部の娘の)小式部内侍が、歌の詠み手に選ばれて、歌を詠んだのを、定頼の中納言がふざけて、小式部内侍が(局に)いたところに、「丹後におやりになった人は(ここに)参上したか。どんなにじれったく【気がかりに・不安に】お思いになっているだろう。」と言って、局の前を通り過ぎられたところ、

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ポイント

いかに 副詞

「いかに」は、主に3つの訳し方があります。

(1)「どのように」「どんなふうに」 *状態・性質・方法などを問う
(2)「どうして」「なぜ」      *原因・理由を問う
(3)「どんなにか」「さぞかし」   *程度を問う(程度を強調する)

もともとは(1)の使い方が主流で、これは形容動詞「いかなり」の連用形だと考えられます。

いずれ、(2)や(3)の使い方が出てきました。(2)や(3)の用法は、「状態・性質・方法」を問うているわけではありませんし、「いかに」のかたちで固定されていますので、「副詞」に分類されています。

さて、この場面では、小式部内侍の「不安」の程度を問うている(強調している)ので、「どんなにか」「さぞかし」などと訳しましょう。

こころもとなし 形容詞(ク活用)

「こころもとなく」は、形容詞「こころもとなし」の連用形です。

漢字で書くと「心許無し」です。

期待や願望がなかなか満たされないもどかしさを意味しています。

思うようにいかない事物の「様子」を形容している場合は、「ぼんやりしている」「はっきりしない」などと訳します。

そういった、思うようにいかない事態に際した「心の動き」を形容している場合は、「じれったい」「気がかりだ」「不安だ」などと訳します。

ここでは後ろに「思す」がありますので、「心の動き」のほうで訳すとよいですね。

思す 尊敬語

「おぼす」と読みます。

尊敬語であり、「お思いになる」と訳します。

おぼす」と「おもふ」は別々の動詞なので、区別しましょう。

「おぼす」は「お思いになる」であり、「おもふ」はシンプルに「思う」です。

らむ 助動詞

助動詞「らむ」です。

意味は主に3つです。

(1)現在推量 ~ているだろう

(2)現在の原因推量 
 (ア)~からだろう・~からなのだろう *理由を考えている
 (イ)どうして~なのだろう *眼前の現象のかくれた理由を問うている
 (ウ)(~だから)~なのだろう *眼前の現象のかくれた理由を挙げている

(3)現在の伝聞・婉曲 ~とかいう・~ような

「いかに」をどう訳すのかがポイントです。

「いかに」を「程度の副詞」と考えて、「どんなに不安で落ち着かなくお思いになっているだろう」と訳すのであれば、「らむ」は①の意味です。

「いかに」を「原因・理由を問う副詞」と考えて「どうして不安で落ち着かなくお思いになっているのだろう」と訳すのであれば、「らむ」は②の用法です。

状況としては、中納言が、小式部内侍に向かって、「(アドバイスをしてくれる)お母さんがいないことを、どんなに心細くお思いになっているだろうねえ……」とからかう場面ですから、(1)の用法だと考えましょう。