京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、ある限り見せたまへ。(更級日記)

〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。

いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、ある限り見せたまへ」と、身を捨てて、額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、「のぼらむ。」とて、九月三日ながつきみか門出して、いまたちといふ所に移る。

更級日記

現代語訳

たいそうじれったいので、(自分と)同じ身の丈に薬師仏を作って、手を洗い清めるなどして、人の見ていない時にひそかに(仏間に)入っては、「(私を)京に早く上らせなさって、(都には)物語が多くございますとかいうものを、あるだけお見せください」と、一心に額を床につき、お祈り申し上げるうちに、(私が)十三歳になる年、「(京へ)上ろう。」となって、九月三日に門出をして、いまたちという所に移る。

ポイント

とし 形容詞(シク活用)

「とく」は、形容詞「疾し」の「連用形」です。

「疾」という漢字のとおり、「早い」という意味です。

たまふ 敬語動詞(ハ行四段活用)

「たまひ」は、敬語動詞「たまふ」の連用形です。

「たまふ」は、特別な場合を除き、「尊敬語」になります。

「尊敬語」は「その行為をおこなう人」への敬意を示していることになります。

ここでは、「薬師仏」が、(仏の力をつかって)「私(作者)」を「都に上げる」という文脈なので、「行為者」は「薬師仏」です。

つまり、「薬師仏」に対しての敬意を示す「尊敬語」ということになります。

なお、「たまふ」は、通常「四段活用」なのですが、たまに「下二段活用」で登場することもあり、その場合は「謙譲語(丁寧語)」として扱うという「特別パターン」もあります。

それについてはこちら。

さぶらふ 敬語動詞(ハ行四段活用)

「さぶらふ」は、敬語動詞「さぶらふ」の終止形です。

もとは「謙譲語」であり、「お仕え申し上げる」「お控え申し上げる」と訳す語でしたが、いずれ「丁寧語」としての役割が増えていきます。

ここでも、主語は「物語」になりますから、無生物である「物語」が「お仕え申し上げる」と訳すのは変ですね。

「丁寧語」と考えて、「物語があります(ございます)」と訳すのが適当です。

なり 「伝聞」の助動詞

「なる」は、「伝聞」の助動詞「なり」の連体形です。

助動詞「なり」は、「断定」の「なり」と、「伝聞・推定」の「なり」があります。

同じひらがなですが、別々に発生した語なので、区別が必要です。

「体言」か「活用語の連体形」についていれば「断定」の「なり」です。

「活用語の終止形(ラ変型の場合は連体形)」についていれば「伝聞・推定」の「なり」です。

とはいえ、「終止形」と「連体形」が全く同じになる語もありますので、「直前の語の形」だけでは、これらを区別することができないことがあります。

ここでも、「さぶらふ」は、「終止形」と「連体形」が同じ形なので、「接続ルール」だけでは結論が出せません。

そういうときは、「文脈」で考えるしかありません。

ここでは、作者が「都ではない場所」にいながら、「都には物語がたくさんある」という話をしていることになりますから、「たくさんあるのである!」と断じるのは少々おかしいですね。

「たくさんあると聞いている」「たくさんあるとかいう……」というように、人から伝え聞いた話として語っていると判断すべきです。

したがって、ここでの「なり」は「伝聞」の「なり」と考えます。

たまふ 敬語動詞(ハ行四段活用)

「見す」という動詞についている「尊敬語」の「たまふ」です。

形としては「命令形」になっています。

「たまへ」という「尊敬語の命令形」の場合、「命じている」というよりは、「お願いしている」というイメージです。そのことから、「お見せください」といった訳の仕方が可能です。