
『大鏡』より、「鶯宿梅(おうしゅくばい)」の現代語訳です。
「いとをかしうあはれにはべりしことは、~
「いとをかしうあはれにはべりしことは、この天暦の御時に、清涼殿の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせたまひしに、なにがしぬしの蔵人にていますがりし時、承りて、『若き者どもはえ見知らじ。きむじ求めよ。』とのたまひしかば、一京まかり歩きしかども、はべらざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体うつくしきがはべりしを、掘り取りしかば、家あるじの、『木にこれ結ひ付けて持て参れ。』と言はせたまひしかば、あるやうこそはとて、持て参りてさぶらひしを、『何ぞ。』とて御覧じければ、女の手にて書きてはべりける、
「たいそう興味深く、感慨深くございましたことは、この村上天皇の御代に、清涼殿の御前の梅の木が枯れてしまったので、(帝が代わりの木を)探させなさったところ、誰それという殿が蔵人でいらっしゃった時、(その勅命を)お受けして、(その人が私【夏山繁樹】に)『若い者どもは(ふさわしい木について)見知っていまい。おまえが探し求めよ。』とおっしゃったので、都中出かけて歩きまわったけれど、ございませんでしたが、西の京のどこそこにある家に、色濃く咲いている木で、姿が【幹も枝ぶりも】立派なのがございましたので、掘り取ったところ、家の主人が、『木にこれを結びつけて(宮中に)持って参上せよ。』と(召し使いの者に)言わせなさったので、何かわけがあるのだろうと思って、(宮中に)持って参ってお控え申し上げたが【持って参りましたが】、(帝が)『何だ。』と言ってご覧になったところ、女の筆跡で書いてございました(その歌には)、
勅なれば ~
勅なれば いともかしこし 鶯の 宿はと問はば いかが答へむ
とありけるに、あやしくおぼしめして、『何者の家ぞ。』とたづねさせたまひければ、貫之のぬしの御女の住む所なりけり。『遺恨のわざをもしたりけるかな。』とて、あまえおはしましける。
勅命であるので、たいそう恐れ多いこと(として木を差し上げよう)。(しかし、もし)鶯が、「宿は(どこに行った)」と問うとしたら、どう答えようか。
とあったので、不思議にお思いになって、『何者の家か。』と調べさせなさったところ、貫之の殿の娘【紀内侍】の住む所であった。(帝は)『悔いが残ることをしたものだなあ。』と言って、恥じていらっしゃった。
繁樹今生の辱号は、~
繁樹今生の辱号は、これやはべりけむ。さるは、『思ふやうなる木持て参りたり。』とて、衣かづけられたりしも、辛くなりにき。」とて、こまやかに笑ふ。
(私)繁樹の一生涯の恥辱は、これがございましたでしょうか。そうであるから、『思いどおりの木を持ってまいった。』といって、(褒美の)衣を与えられたことも、つらくなってしまった。」と言って、感慨深く笑う【にこやかに笑う】。

形容動詞「こまやかなり」は、「濃密である」ことであり、「繊細で美しい」ことや、「色が濃い」ことなどを意味します。
人間の「関係」や「行動」に用いられると、「心がこもっている」「愛情が深い」「親切丁寧だ」という意味になります。
さて、「こまやかに笑ふ」という表現は、古文にはよく出てくるのですが、一般的には「にこやかに笑う」「にっこりと笑う」と訳すことが多く、ここでもそう訳して問題ありません。
ただ、この場面は繁樹自身が「辱号」と思っていることを思い出している場面なので、屈託なく朗らかに笑っているわけではなさそうです。
さまざまな情感がこもった味わいのある笑顔なのだろうと考えられますね。