ふと心劣りとかするものは 『枕草子』 現代語訳

ふと心劣りとかするものは、~

ふと心劣りとかするものは、男も女も、言葉の文字いやしう使ひたるこそ、よろづのことよりまさりてわろけれ。ただ文字一つに、あやしう、あてにもいやしうもなるは、いかなるにかあらむ。さるは、かう思ふ人、ことにすぐれてもあらじかし。いづれをよしあしと知るにかは。されど、人をば知らじ、ただ心地にさおぼゆるなり。

不意にがっかりするものは、男も女も、話し言葉(のひとつひとつ)を下品に使っていることが、どんなことにもましてよくない。ただ言葉遣い一つで、妙なことに、上品にも下品にもなるのは、どういうわけであろうか。そうはいうものの、このように思う人【私自身】が、特にすぐれてもいないだろうよ。どれをよい悪いと判断するのだろうか。(そんな基準はないだろう)しかし、(他の)人(がどう思うか)はどうでもよく、ただ(自分の)気持ちとしてそのように【よいとか悪いとか】思われるのだ。

いやしきことも、~

いやしきことも、わろきことも、さと知りながらことさらに言ひたるは、あしうもあらず。わがもてつけたるを、つつみなく言ひたるは、あさましきわざなり。また、さもあるまじき老いたる人、男などの、わざとつくろひ、ひなびたるはにくし。まさなきことも、あやしきことも、大人なるは、まのもなく言ひたるを、若き人は、いみじうかたはらいたきことに消え入りたるこそ、さるべきことなれ。

下品な言葉も、よくない言葉も、それと知りながらわざと言っているのは、悪くもない。(一方で)自分の身につけてしまっている言葉を、はばかりなく言っているのは、驚きあきれたことだ。また、そうであるべきでない【そんな言葉を使うべきではない】老人や、男などが、ことさらに(言葉を)つくろい、田舎びた言葉を使うのは、しゃくにさわる。正しくない言葉も、粗野な言葉も、年長の人【年輩の女房】が、平然と言っているのを、若い人は、たいそうきまりが悪いことと(思い)、消え入りたくなっている【自身の存在を消している】のは、当然のことである。

何事を言ひても、~

何事を言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文に書いては言ふべきにもあらず。物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへいとほしけれ。「ひてつ車に」と言ひし人もありき。「求む」といふことを「みとむ」なんどは、皆言ふめり。

どんなことを言っても、「そのことをさせむとす」「言はむとす」「何とせむとす」という「と」の文字をなくして、ただ「言はむずる【言おう】」「里へ出でむずる【里へ下がろう】」などと言うと、ただちにとてもよくない(言葉になる)。まして、(そのような言葉を)文書に書いては言いようもない(ほどまずい)。物語などは、(言葉を)ことさら悪く書いてあると、言いようがないほど情けなく、作者まで気の毒である。(「ひとつ車」と言うべきところを)「ひてつ車に」と言った人もいた。「求む」ということを「みとむ」など(と言うの)は、みんな【世間の誰もが】言うようだ。