誰が見たって面白いと思うよ。
意味
(1)趣がある・風情がある
(2)興味深い・心が引かれる・おもしろい
(3)美しい・すばらしい・見事だ
(4)こっけいだ・おかしい
ポイント
「こっけいだ」という意味の「痴(をこ)」が形容詞化したという説と、「招き入れる」という意味の「招く(をく)」が形容詞化したという説があります。
「をこ」なら(4)の意味が近く、「招く」なら(1)(2)の意味が近いことになります。
古くは(4)「こっけいだ・おかしい」の意味が多いのですが、平安時代には(1)(2)(3)の使い方が多くなります。
中世に入ると、再び(4)が優勢になります。現代語としては(4)ですね。
授業では、よく「をかし」と「あはれなり」を対比したりするよね。
よく言われるのは、「をかし」は「客観的知的好奇心」であり、「あはれなり」は「主観的感慨」を示しやすいという対比の仕方ですね。
どちらも主な訳語に「趣き深い」という表現があるのですが、「をかし」のほうは、「みんなにわかってもらえそうな、説明可能なおもしろさ」を意味していて、「あはれなり」のほうは、「ことばにできない、説明できない感慨」を意味しています。
『枕草子』には「をかし」が多用されており、『源氏物語』には「あはれなり」がよく出てくるので、前者を「をかしの文学」、後者を「あはれの文学」などと称したりもします。
余談なのですが、現代に、「尾籠(びろう)な話で恐縮ですが」という言い回しがあります。
「尾籠な話」というのは、下品な話、無礼な話、という意味合いなのですが、この「尾籠」は、もともと「をこ」の当て字として「尾籠」と書いたものです。鎌倉時代に入ると、これを訓読みして「びろう」と言うようになっていったのですね。
たとえば、『平家物語』には、
殿の御出に参り逢うて乗物より降り候はぬこそ尾籠に候へ
という一節があります。
この時代にはもう「びろう」と読んでいたようです。ここでは「無礼」という意味で使用されていますね。
さて、「をかし」という形容詞は、使用されていくうちに、もともとの「をこ」の意味(こっけいだ・ばかばかしい)からはかなり離れた肯定的な意味合いを持ちました。そういった「プラスのニュアンス」から考えると、「をかし」は「招く(をく)」から生じたことばだとする考えにも一定の説得力がありますね。
でも、中世に入ると、また「こっけいだ」っていう意味が強くなっていくんでしょ。
同じことばでも、時代によって使われ方がかなり変化しますからね。
ただ、試験においては、「をかし=趣きがある」というプラス面を強く意識しておきましょう。
例文
中将をかしきを念じて、(源氏物語)
(訳)中将はおかしいのを我慢して、
これは、「おかしくて笑いたいほどであるのを我慢して」という意味合いです。
雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし。(枕草子)
(訳)雁などが列を連ねているのが、たいそう小さく見えるのはとても趣がある。
また、野分の朝こそをかしけれ。(徒然草)
(訳)また、野分【秋のあらし】の翌朝(の庭のようす)は興味深い。
笛をいとをかしく吹き澄まして過ぎぬなり。(更級日記)
(訳)笛をたいそう見事に一心に吹いて通り過ぎたようだ。