意味
(1)ご存じである・お知りになる
(2)お治めになる・統治なさる・領有なさる
ポイント
「しる(知る・領る)」に、尊敬の「す」がついた「しらす」という語がありましたが、さらに「召す」が付くことによって、非常に高い敬意を示す語として用いられました。
もとは「しらしめす」ですが、中古以降は「しろしめす」と言いました。
もともと「しる」には、主に「知る/(領地などを)治める」という意味がありますので、その尊敬語として考えておけばOKです。
「召す」は、自分はじっとしているところに誰か(何か)をお呼び寄せになるということだから、かなりレベルの高い人の行為を示しやすいんだったね。
そうですね。
「しろしめす」は、上代では天皇などを主語として「お治めになる」の意味で使用されましたが、中古では「ご存じである」の使用例が増えまして、天皇以外の主語も増えてきます。
そもそも「最高敬語的な表現」というのは、セリフの中だとけっこういろいろな人に使用されます。
ああ~。
セリフの中だと、相手をうやうやしく持ち上げたりするもんね。
たとえば『平家物語』では、「源頼朝(鎌倉殿)」や「源義経(御曹司)」の行為にも用いられています。要するに、「ボス級」の人の行為に使用しやすいということですね。
余談ですが、貴族のご子息の貴公子のことを「君達」といいますよね。
源平の争乱のころだと、「平家」の跡取り系の若者を「公達」、「源氏」の跡取り系の若者を「御曹司」と呼ぶことが多いです。
例文
さる者ありとは、鎌倉殿までも知ろしめされたるらんぞ。(平家物語)
(訳)そういう者【今井四郎兼平という者】がいるとは、鎌倉殿までもご存じであるだろうぞ。
知ろしめさぬ海川の、にはかにできても候はばこそ。この川は近江の湖の末なれば、待つとも待つとも水干まじ。(平家物語)
(訳)ご存知でない海や川が、突然できたのでしたら仕方がありませんが(そうではございません)。この川【宇治川】は近江の湖の出口なので、待てども待てども水は干上がるまい。
これは畠山重忠が源義経にもの申している場面です。
宇治川を越える際に、「水量が低くなるのを待つ?」という義経に対して、畠山が「この川のことご存じでしょ? 琵琶湖から流れているから、いつになっても水量はこのまま」と話しています。
なにがしこの寺に籠もりはべりとは、しろしめしながら、忍びさせたまへるを、憂はしく思ひたまへてなむ。
(訳)私【僧都】がこの寺に籠っておりますと、(源氏は)ご存じでありながら、こっそりとしていらっしゃるのを、嘆かわしいと思っておりまして。
今天皇の天の下しろしめすこと、四つのとき、九のかへりになむなりぬる。(古今和歌集)
(訳)今上天皇【醍醐天皇】が天下をお治めになる【統治なさる】ことは、四つのとき【四季】が、九回めぐることになった【九年経つことになった】。