まうす【申す】 動詞(サ行四段活用)

もしもし

意味

謙譲語

(1)申し上げる 

(2)お願い申し上げる・お願いする 

(3)して差し上げる・いたす・奉仕する 

(4)申します・言います *謙譲語Ⅱ(丁寧語に近い用法)

補助動詞として・・・

(5)お~申し上げる・~して差し上げる 

ポイント

上代では「まをす」ということばであり、今でも祝詞では「かしこみかしこみまをす」というように、「まをす」を使います。

もともとは、神や権力者といった上位者に対しお願いをするという意味を持ちましたが、「お願い」という意味での使い方はそれほど多くはなく、「上位の者に口をきく」行為を指すことばとして広範に用いられました。

したがって、訳語としては「申し上げる」となることが多いです。

「聞こゆ」も「申し上げる」という意味だったよね。

「聞こゆ」は、「聞こえる」という意味がまずあって、「偉い人に聞こえるように話す」という意味合いで「申し上げる」という謙譲語でも用いるようになった語です。

「申す」が、男性的で公的な語であるのに対して、「聞こゆ」女性的な語と言われます。ただ、訳語としてはどちらも「申し上げる」になることが多いですね。

本動詞でも、(3)みたいに「言う行為」とは関係ない使い方もあるんだね。

そうですね。

この使い方は「参る」にもあります。

ただ、本動詞の「申す」を「言ふ」の意味と完全に切り離して使用することはほとんどありません。

たとえば、(3)の意味での代表的な例文は次のようなものです。

「ことづけまうさむと思ふは、聞きたまひてむや」と言ひければ、遠助、「まうしはべりなむ」と答ふ。

(訳)「おことづけ申し上げようと思うことは、お聞き入れになるだろうか」と言ったところ、遠助は、「いたしましょう【して差し上げましょう】」と答える。

今昔物語集

堀江より 水脈引きしつつ み船さす 賎男の伴は 川の瀬申せ

(訳)堀江から水先案内をしながら、御船をあやつる身分の低い男たちは、川の瀬に注意してご案内をいたせし申し上げよ】。

万葉集

この場合、前者は「ことづけ」の話題なので、「いたしましょう」の行為の内容は「申し上げる」ことなんですよね。

また、後者は「川の瀬(流れが速くて浅いところ)があったら申し上げよ【報告せよ】」という意味でとることもできます。

つまり、どちらも「言ふ」という行為と切り離されているわけではありません。

ほかにも

飯なんど申す
お茶なりと申す
お宿を申す

といった使い方もあって、このへんは「言ふ」の含みはなく、「奉仕する・して差し上げる」という意味で使用されていますが、いずれも室町以降の用例であり、数も多くはありません。

したがって、中世以前の本動詞の使い方としては、やはり(3)の使い方は珍しいですね。

じゃあ、中高生の試験としては、それほど気にしなくていいということだな。

そうですね。

入試の水準で(4)の意味が聞かれることはまずないと思います。

「言う・お願いする・呼ぶ」といった意味内容が消えるのは、(6)の「補助動詞の用法」に限定して大丈夫です。

謙譲語Ⅱ(丁寧語に近い表現)

(4)の「謙譲語Ⅱ」っていうのは何なんだ?

具体的には、会話文の中に「申す」があるときに「謙譲語Ⅱ」に該当する場合があります。「謙譲語Ⅱ」というのは「対者敬語」として用いる謙譲語のことです。

「丁寧語に近い用法」と考えておけばOKです。

「申す」は、根本的には・・・・・「行為の客体・・(受け手)」への敬意を示す「謙譲語」です。

ただ、たとえば会話文の中で・・「申す」を使用した場合、「行為の客体」と「聞き手」が一致することが出てきます。

そういうケースで、流れ的に「聞き手に対して失礼がないようにしているんだなあ」と判断される場合、その「申す」を「謙譲語Ⅱ」とか「丁寧語」とかに分類することがあります。

具体的にはどういうケースがあるの?

たとえば、「〈名称〉と申す」という表現は、地の文であれば通常の「謙譲語」です。

「(人々がその人・場所などを)〇〇と申し上げる」ということであり、この場合の「申す」は「呼ぶ」の謙譲語ともいえます。

ああ~。

物語のはじまりとかに出てくるね。

「〈名称〉と申す」という言い回しは、「敬意を向けるべき対象」とまではいえなくても、名を呼ぶとき(名を伝えるとき)には、広く慣用的に用いられました。

たとえば、そのへんの花の名前とかでも「○○と申す」と表現することがあります。

こういう言い回しが「会話の中」に出てくると、「名前の持ち主」に対する敬意なのか、「いまこの発言を申し上げている相手」に対する敬意なのか、判然としないケースが出てきます。

「人々がそれを〈○○〉と呼び申し上げる」という構造なのか、会話の相手に名称を教える文脈で「〈○○〉と(あなたに)申し上げる」という構造なのか、どちらとも決めきれない状態です。

具体的には次のようなものです。

「~ あれに見え候ふ、粟津あわづの松原と申す。あの松の中で御自害候へ」とて、

(訳)(今井四郎は木曾殿に対して)「~ あそこに見えます、粟津の松原と申します。あの松の中で御自害なさいませ。」と言って、

平家物語

この「申す」を「通常の謙譲語」とすると、「敬意の向かう先」は「粟津の松原」ということになります。「(人々がその場所をその名称で)呼ぶ」ということの謙譲表現ということですね。・・・(A)

ところが、ここでの「申す」は、「敬意の向かう先」が「木曾殿」であるとみなすこともできます。「(今井がその場所の名称を木曾殿に)言う」ということの謙譲表現ですね。・・・(B)

(B)で解釈した場合、「表現者(今井四郎)」と「話し手(今井四郎)」が一致し、「行為の客体(木曾殿)」と「聞き手(木曾殿)」が一致することになりますので、結果的に・・・・「丁寧語の構造」と類似・・・します。

したがってこれを「謙譲語Ⅱ(丁重語)」と考えることもできます。

もう一例見ておきましょう。

御随身ついゐて、「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」と申す。

(訳)御随身【貴人の外出の際に警護にあたる従者】がひざまずいて、「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。花の名前は人のようで、このように卑しい垣根に咲くのですなあ。」と(源氏に)申し上げる。

源氏物語

これなんかは「花の名前」を呼んでいるわけだよね。「花に対する敬意」とは考えにくいね。

会話文の中でもありますので、話者である「随身」から、聞き手である「光源氏」に対して「この花の名称を(いまあなたに)申します」という意味合いで使用していると考えたほうが実態にあいますね。

そのため、この例文は「謙譲語Ⅱ」と考えるほうが適切です。

「丁寧語っぽい」使い方なので、「丁寧語」とする文法書もあります。

ああ~。

そう考えるとたしかに「丁寧語っぽい」用法だね。

でも、「申し」を「丁寧語」と分類してしまうと、直後に「はべる」という丁寧語がつくのは余計なんじゃないの?

まさにそうですね。

ですから、こういう場合の「申す」は、「敬語の種類」としては「謙譲語Ⅱ」と考えて、訳については「丁寧語っぽく訳してよい」としておくのが妥当だと思います。

ふむふむ。

いずれにしても「謙譲語Ⅱ」は、「地の文」では登場しませんので、「会話文」「手紙文」の場合だけ注意しておきましょう。

次の「例文」のなかに該当するものをいくつか示しますので、参考にしてください。

例文

「ここにおはするかぐや姫は、重き病をし給へば、え出でおはしますまじ。」と申せば、その返り事はなくて、(竹取物語)

(訳)(翁は)「ここにいらっしゃるかぐや姫は、重い病気をしていらっしゃるので、出ていらっしゃることはできないでしょう。」と申し上げると、(天人からの)その返事はなくて、

「この源氏の物語、一の巻よりしてみな見せ給へ」と、心のうちに祈る。親の太秦にこもりたまへるにも、ことごとなく、このことをまうして、(更級日記)

(訳)「この源氏の物語を、一の巻から皆お見せください」と、心の中で祈る。親が太秦(の広隆寺)におこもりになった【参籠なさった】ときにも、(お供の私は)ほかの事ではなく、このこと【源氏物語をすべて読むこと】を(神仏に)お願い申し上げて、

昔、惟喬親王これたかのみこ申す親王おはしましけり。

昔、惟喬親王と申し上げる【お呼びする】親王がいらっしゃった。

「名称」+「と」+「申す」という言い回しは、「(人々がその人・場所を)○○と申し上げる」ということを示す慣用的な表現です。

地の文であれば「通常の謙譲語(謙譲語Ⅰ)」です。会話文や手紙文であれば、「謙譲語Ⅱ」の可能性があります。

ある女房の参つて申しけるは、「大原山のおく、寂光院と申す所こそ閑かにさぶらへ」と申しければ、(平家物語)

ある女房が参上して(建礼門院に)申し上げたことは、「大原山の奥、寂光院と申します所は静かでございます」と申し上げたところ、

ひとつ前の例文と同じように、「名称」+「と」+「申す」というかたちなので、「寂光院」という場所への敬意とみなし、「申し上げる」と訳してOKです。

ただ、この例文は会話文の中であることから、会話の相手(建礼門院)への敬意を示しているとみなすこともできます。つまり、「建礼門院(会話の相手)」に対して「女房(話し手)」が「かしこまり・へりくだりの表現」を用いていると考えて、「謙譲語Ⅱ」と分類してもOKです。

こういうケースを丁寧語に分類している辞書もあります。

「いかやうにかある。」と問ひ聞こえさせたまへば、「すべていみじうはべり。『さらにまだ見ぬ骨のさまなり』となむ人々申す。まことにかばかりのは見えざりつ。」と、言高くのたまへば、(枕草子)

(訳)(中宮様が)「(手に入れた扇の骨は)どのようであるか。」とお尋ね申し上げなさると、(隆家は)「すべてがすばらしゅうございます。『まったくまだ見たことのない骨の様子だ』と人々が申します。本当にこれほどの(骨)は見たことがない。」と、大きな声でおっしゃるので、

ひとつ前の例文と同じように、会話文の中で、会話の相手への敬意を示しているような用い方なので、「謙譲語Ⅱ」と考えます。

この例文の場合、「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」というセリフを「申す」という行為が、「骨の持ち主」である「隆家」に対しての敬意を示す謙譲語と取ってもよさそうに思いますが、そうしてしまうと、このセリフそのものを発語している「隆家」が、「隆家自身」への敬意を示す表現をしていることになります。いわゆる「自敬表現・尊大表現」ですね。

これが自敬表現である可能性もゼロではありませんが、「状況」には注意が必要です。第一に「自敬表現」は「帝レベル」が「命令形」で用いるものです。

第二に、この場面は、中納言隆家が中宮定子のところにやってきて、手に入れた扇の骨について語るシーンです。定子は隆家の姉であり、しかも中宮の立場ですから、その人へのセリフのなかに「自敬表現・尊大表現」を用いるというのは考えにくいことです。

したがって、ここでの「申す」は、「謙譲語Ⅱ」と解釈し、「申します」と訳すのが適当です。

この例文のお話の前後はこちら。

あはれにうれしくも会ひまうしたるかな。(大鏡)

(訳)感慨深くうれしいことに(あなたに)会い申し上げたなあ。

補助動詞の用法です。

お~申し上げる
~してさしあげる

などと訳します。

「お~申し上げる」の「お」はなくても大丈夫です。

逆に、「お」があれば、「申し上げる」とまでしなくても、「お~する」と訳しても問題ありません。

たとえば、「いらへ申す」であれば、「お答え申し上げる」と訳すのが一般的ですが、「答え申し上げる」と訳してもOKですし、「お答えする」と訳してもOKです。

ただ責めに責め申し、怨み聞こえて笑ひ給ふに、(枕草子)

(訳)ひたすら責め申し上げ、恨み申し上げて笑いなさると、

「申す」と「聞こゆ」は類義語の扱いになりますが、「申す」のほうが公的な場面でよく使用され、「聞こゆ」のほうは女流文学によく使用されます。

同じように「申し上げる」という訳にはなりますが、「申す」のほうは「発言の内容を相手にしっかりと伝える」という動詞で、「聞こゆ」のほうは「相手の耳に自然に届くように話す」という動詞です。

ここでも、「責む」は、相手にしっかりと伝える行為であり、「怨む」は、行為としてはそこまで直接的なものではありませんので、「申す」と「聞こゆ」を別々に使っているのだと考えられます。