軽んじていて、ときに心の距離が近い
意味
(1)軽く扱ってよい・見くびってよい
(2)遠慮がいらない・気がおけない
ポイント
動詞「侮る(あなづる)」が形容詞化したものです。
「あなづる」の「軽蔑する・見下げる」という意味がそのまま生きているのが(1)の意味です。
「軽く扱ってよい」ということは、「敬意を持たなくてよい」ということなので、やがて「遠慮しなくてよい」「気を遣わなくてよい」という意味でも使われるようになりました。それが(2)の意味です。
ああ~。
「重々しい配慮をしなくていい、気の休まる相手」って感じなんだね。
そういうことになりますね。
でも、そういう場合って、相手の方がむちゃくちゃ気をつかってるパターンもあるよね。
ああ~。
一方的に親密だと思ってるケースってありますよね。
例文
人をも、人げなう、世の覚えあなづらはしうなりそめにたるをばそしりやはする。(枕草子)
(訳)人も、人並みでなく、世間の評判も軽く扱ってよいようになり始めた人を非難するだろうか、いや、そんなことはしない。
柳の織物の細長、萌黄にやあらむ、小袿着て、羅の裳のはかなげなる引きかけて、ことさら卑下したれど、けはひ、思ひなしも、心にくくあなづらはしからず。
(訳)(明石の君は)柳の織物の細長に、萌黄であろうか、小袿を着て、薄物の裳【女房の正装】で、さりげなく見えるのを着用して、わざと卑下しているが、ものごし【雰囲気】や、心構えも、奥ゆかしく軽く扱えない【見くびってはならない】(ようすである)。
ただ右近をば、むつまじうあなづらはしき方にてと、上は思し召してせさせ給へるかひなく、いかでかくおどろおどろしき御事どもをば。(栄花物語)
(訳)ただ右近を、親しく遠慮のいらない【気がおけない】者として(扱うように)と、帝はお思いになって(右近【私】の派遣を)なさったかいもなく、どうしてこのような仰々しいことを(なさるのか)。
一条天皇と中宮定子の第一皇女「脩子内親王(しゅうしないしんのう)」が生まれたときに、定子のお世話をしてくれた右近内侍に対して、定子は並々でない禄などを渡すのですが、それに対する右近のセリフです。
「もう、こんなお土産とかに気を遣っちゃダメでしょ!」って言ってるんだね。