「歌物語」というジャンルの中で最も古いとされている『伊勢物語』です。
文中での「男」は、在原業平がモデルであるといわれています。
作者は不明であり、「在原業平ではないか」「三十六歌仙の一人である伊勢ではないか」「土佐日記を書いた紀貫之ではないか」など、いくつかの説があります。
それらの人物は西暦900年前後の人物であり、『伊勢物語』が書かれたのもそのあたりと言われています。
昔、男ありけり。~
昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして、行きけり。道知れる人もなくて惑ひ行きけり。
昔、男がいた。その男は、わが身を必要のない者と思い込んで、京にはいないようにしよう、東の方で住むのに適した国を求めに(行こう)と思って行った。以前から友としている人、一人二人と一緒に行った。(東国への)道を知っている人もいなくて、迷いながら行った。
三河の国、~
三河の国、八橋といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下り居て、かれいひ食ひけり。その沢に、かきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を、句の上に据ゑて、旅の心を詠め」といひければよめる。
三河の国の八橋というところに着いた。そこを八橋といったのは、水が流れる川が八方に分かれているので、橋を八つ渡してあることによって、八橋と言った。その沢のほとりの木の陰に下りて座って、乾飯を食べた。その沢に、かきつばたがたいそう興味深く咲いている。それを見て、ある人が言うには、「かきつばたという五文字を、(五・七・五・七・七の)句の頭文字に据えて、旅の心を詠め」と言ったので、(うたを)詠んだ。
から衣~
から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ
と詠めりければ、みな人、かれいひの上に涙落として、ほとびにけり。
唐衣を 着続けて馴染んだように (なれ親しんだ)妻が(都に)いるので はるばる来てしまった旅のことを思う
と詠んだところ、みな人は、乾飯の上に涙を落として、ふやけてしまった。
ゆきゆきて駿河の国にいたりぬ。宇津の山にいたりて、わが入らむとする道は、いと暗う細きに、蔦、かへでは茂り、もの心細く、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者会ひたり。「かかる道は、いかでかいまする。」と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、文かきてつく。
進んで行って駿河の国に到着した。宇津の山に着いて、自分が入ろうとする道は、たいそう暗く細いところに、蔦やかえでが茂り、もの心細く、思いがけない(つらい)にあうことだとと思っていると、(男と)修行者が出会った。「このような道に、どうしていらっしゃるのか。」と言うのを見ると、会ったことがある人であった。京に、その人のもとに(お届けしたい)と思って、手紙を書いて渡す。
駿河なる~
駿河なる うつの山辺の うつつにも 夢にも人に あはぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。
時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪のふるらむ
その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。
駿河国にある宇津の山辺の 現実にも 夢にもあなたに 会わないのだった
富士の山を見ると、五月の末なのに、雪がたいそう白く降り積もっている。
時を知らない 山は富士の嶺だ 今をいつと思って 鹿の子まだら(模様)に 雪が降っているのだろう
その山は、ここ(都)に例えて見ると、比叡の山を二十ほども積み重ねたような程度で、形は塩尻のようであった。
なほ行き行きて、~
なほ行き行きて、武蔵の国と下総の国とのなかにいと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやればかぎりなく遠くも来にけるかなと、わびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ。」といふに、乗りて渡らむとするに、皆人ものわびしくて、京に、思ふ人なきにしもあらず。
さらに進んで行くと、武蔵の国と下総の国の間に、たいそう大きな川がある。それを隅田川という。その川のほとりに群れて座って、(都に)思いをはせると、かぎりなく遠くに来たものだなと、(互いに)嘆いていると、渡守が、「はやく舟に乗れ。日も暮れてしまう。」と言うので、(船に)乗って渡ろうとするが、皆もの悲しくて、都に、(いとしく)思う人がいないわけではない。
さるをりしも、~
さるをりしも、白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、皆人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
名にし負はば いざ言問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。
そんな折、白い鳥で、くちばしと脚が赤い、鴨ぐらいの大きさであるのが、水の上で気ままに動きながら魚を食べている。京には現れない鳥であるので、皆は見知らない。渡守に問うたところ、「これは都鳥だ。」と言うのを聞いて、
(都という)名を背負っているのならば さあ尋ねよう 都鳥よ 私が(いとしいと)思う人は 無事でいるのかいないのかと
と(男が)詠んだところ、舟(にいる人々は)一人残らず泣いた。
いまも隅田川に「言問橋」という橋がかかっていますね。
なんと。
在原業平が都鳥に問いかけた場所なのだな。
舞台とされた場所は少し違うところと言われているのですが、この「東下り」の故事にちなんで「言問団子」というおだんごを作ったお店が、言問橋の近くにあります。
橋よりもおだんご屋さんのほうが先にできているので、この橋の名前はむしろおだんご屋さんに由来していますね。
それはそれで面白いね。