遠矢 『平家物語』 現代語訳

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和田義盛 ―弓矢の腕前すごかった 開拓魂すごかった―
和田義盛 わだよりもり 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武将です。「十三人...

源氏の方には、~

源氏の方には、和田小太郎義盛よしもり、船には乗らず馬に打ち乗り、鐙の端はな踏み反らし、平家の勢の中を、差し詰め引き詰め散々に射る。本より精兵の手利きにてありければ、三町が内のものをば、外さず、強う射けり。

源氏方には、和田小太郎義盛(和田義盛)が、船には乗らず馬に乗って、鎧の端を踏み反らし、平家の勢に向かって、差し詰め引き詰めひっきりなしに射た。元より精兵の手利き(弓矢の腕が勝れている者)だったので、三町の内のものを、外すことなく、強く矢を射た。

中にも殊に遠う射たると思しき矢を、~

中にも殊にとほう射たると思しき矢を、「その矢たまはらん」とぞ招きける。新中納言知盛とももりきやう、この矢を抜かせて見給へば、白箆しらのに鶴の本白もとじろこうの羽割り合はせていだる矢の、十三束三伏じふさんぞくみつぶせありけるに、沓巻くつまきより一束ばかりおいて、和田の小太郎たひらの義盛と、漆にてぞ書き付けたる。

義盛はその中でもとりわけ遠くまで射たと思われる矢を、「その矢を返せ」と言って手招きした。新中納言知盛卿(平知盛)が、その矢を抜かせて見れば、白箆に鶴の本白に、鴻の羽を混ぜ合わせてはいだ矢で、十三束三伏あるものに、沓巻のところに、和田小太郎平義盛(和田義盛)と、漆で書き付けてあった。

平家の方にも精兵多しと言へども、~

平家の方にも精兵多しと言へども、さすが遠矢射る仁やなかりけん。ややあつて伊予の国の住人、仁井の紀四郎親清ちかきよ、この矢を賜つて射返す。これも三町余を、つとい渡いて、和田が後ろ一反ばかりに控へたる、三浦の石左近の太郎が、弓手の腕に、したたかにこそ立つたりけれ。

平家方にも精兵は多くいたが、義盛ほど遠矢を射る者はいなかった。しばらくして伊予国の住人、仁井紀四郎親清(仁井親清)が、この矢を知盛から賜って射返した。この矢も三町余りを、飛んで、和田(義盛)の後ろ一反ばかり後ろにいた、三浦石左近太郎の弓手の腕に、深く刺さりった。

三浦の人ども寄り合ひて、~

三浦の人ども寄り合ひて、「あな憎や、和田の小太郎が、我ほどの精兵なしと心得て、恥かきぬるをかしさよ」と笑ひければ、義盛、安からぬ事なりとて、今度は小舟に乗つて漕ぎ出だし、平家の勢の中を、差し詰め引き詰め散々に射ければ、者ども多く手負ひ射殺さる。

三浦の者たちは集まって、「ああこしゃくらしい。和田小太郎(義盛)が、自分ほどの精兵はいないと思い込んでいて、恥をかいているおかしさったら!」と笑ったので、義盛は、このままでは引き下がれないと、今度は小舟に乗って漕ぎ出し、平家の勢の中を、ひっきりなしに散々に射たので、平家の者たちの多くが怪我をし、射殺された。

ややあつて沖の方より、~

ややあつて沖の方より、判官(義経よしつね)の乗り給ひたる船に、白箆の大矢を一つつい立て、これも和田が様に、「その矢賜らん」と招きけり。判官この矢を抜かせて見給へば、白箆に山鳥の尾を以つて矧いだる矢の、十四束三伏ありけるに、沓巻より一束ばかりおいて、伊予の国の住人、仁井の紀四郎親清と、漆にてぞ書き付けたる。

少しして沖の方より、判官(源義経)の乗った船に、白箆の大矢が一つ刺さり、平家方より和田(義盛)と同じように、「その矢を返せ」と手招きしました。判官(源義経)がこの矢を抜かせて見れば、白箆に山鳥の尾で矧いだ矢で、十四束三伏せあって、沓巻より一束ほどのところに、伊予国の住人、仁井紀四郎親清(仁井親清)と、漆で書き付けてあった。

判官、後藤兵衛実基を召して、~

判官、後藤兵衛実基さねもとを召して、「御方にこの矢射つべき仁は誰れかある」とのたまへば、「甲斐源氏に、浅利の与一殿こそ、精兵の手利きにて候へ」と申ければ、判官、「さらば与一呼べ」とて召されけり。浅利の与一出で来たり。

判官(義経)は、後藤兵衛実基(後藤実基)を呼んで、「味方にこの矢を射ることができる者がだれかいるか」と申すと、実基は「甲斐源氏の、浅利与一殿こそ精兵の手利きでございます」と答えたので、判官は、「ならば与一を呼べ」と言って呼んだ。浅利与一が出てきた。

判官、~

判官、「いかに与一、この矢只今沖より射て候ふが、その矢賜んと招き候ふ。御辺射られ候ひなんや」とのたまへば、「賜つてみ候はん」とて、取つて爪縒つて、「これは箆が弱う候ふ。矢束も少し短う候へば、同じうは義盛よしもりりが具足にて仕り候はん」とて、塗箆に黒保呂矧いだる大の矢の、我が大手に押し握つて、十五束三伏ありけるを、塗籠籐の弓の、九尺ばかりありけるに、取つて番ひ、よつ引いてひやうど放つ。

判官(義経)は、「与一よ、この矢が先ほど沖より射られたのだが、この矢を返せと手招きしておる。お主が射返してくれぬか」と申すと、「やってみましょう」と、この矢を取って爪縒りして(状態をたしかめて)、「この矢は箆(竹の部分)が弱いです。矢束も少し短いので、どうせ射返すのならば義盛(和田義盛)の矢でやりたい」と言って、塗箆に黒保呂を矧いだ大矢を、大手を伸ばして弓を握り、十五束三伏せある矢を、塗籠籐の弓で、九尺ほどもあるものに、矢を取って番い、十分に引いて矢を放った。

これも四町余を、~

これも四町余を、つと射渡いて、大船の舳へに立つたる、仁井の紀四郎親清が、真つ只中を、ひやうつばと射て、船底へ真つ逆様に射落とす。本よりこの浅利の与一は、精兵の手利きにて、二町が内を走る鹿をば外さず、強う射けるとぞ聞こえし。その後は源平の兵ども、互ひに面も振らず、命も惜をしまず攻め戦ふ。

浅利与一の矢も四町余りを、射通して、大船の舳に立っていた、仁井紀四郎親清(仁井親清)の、真ん中を、射て、船底に真っ逆様に射落とした。元より浅利与一は、精兵の手利きだったので、二町の中を走る鹿を外すことなく、強弓の者と言われていた。その後は源平の兵たちは、互いに怖れず、命も惜しまず攻め戦った。