道長と伊周 『大鏡』 現代語訳

『大鏡』より、「道長と伊周」の現代語訳です。

双六の話として有名です。

入道殿、~

入道殿、御岳に参らせ給へりし道にて「帥殿の方より便なき事あるべし」と聞こえて、常よりも世を恐れさせ給ひて、平らかに帰らせ給へるに、かの殿も、「かかる事、聞こえたりけり」と人の申せば、いとかたはらいたくおぼされながら、さりとてあるべきならねば、参り給へり。

入道殿【藤原道長】が、御岳に参詣なさった道中で、「帥殿【藤原伊周】のほうから不都合な企てがあるだろう」と聞こえてきて【といううわさがあって】、(道長は)いつもよりも身辺を警戒なさって、無事にお帰りになったが、あの帥殿【伊周】も、「このようなことが、(道長の)お耳に入った」と人が申し上げるので、たいそうきまりが悪いとお思いになりながら、そうはいってもそのままでよいわけではないので、(道長のところへ)参上なさった。

道のほどの物語などせさせ給ふに、~

道のほどの物語などせさせ給ふに、帥殿いたく臆し給へる御気色のしるきを、をかしくもまたさすがにいとほしくもおぼされて、「久しく双六つかまつらで、いとさうざうしきに、けふあそばせ」とて、双六の盤を召して、押しのごはせ給ふに、御気色こよなうなほりて見え給へば、殿をはじめ奉りて、参り給へる人々、あはれになむ見奉りける。

(道長が、御岳を参詣した)道中のあたりの物語などをしなさると、帥殿がたいそう臆病になっていらしゃるご様子が顕著なので、おかしくも、またそうはいってもやはり気の毒にもお思いになって、「長い間双六をいたしませんで、たいそうもの足りないので、今日お楽しみください」と言って、双六の盤をお取り寄せになって、(盤面を)おし拭いていらっしゃると、(伊周の)お顔色はこのうえなく直ってお見えになるので、殿【道長】をはじめといたしまして、参上なさっている人々も、(帥殿を)しみじみかわいそうだと見申し上げた。

さばかりのことを聞かせ給はむには、~

さばかりの事を聞かせ給はむには、少しすさまじくももてなさせ給ふべけれど、入道殿は、あくまで情おはします御本性ごほんしやうにて、必ず人のさ思ふらむことをばおしかへし、なつかしうもてなさせ給ふなり。この御博奕おんばくやうは、うちたたせ給ひぬれば、二所ふたところながらはだかに腰からませ給ひて、夜半・暁まであそばす。

(道長が)それほどのこと【うわさ】をお聞きになったとしたら、(伊周に対して、普通なら)少し冷淡にお取り扱いなさるはずだが、入道殿は、どこまでも人情がおありになるご性質で、必ず(普通の)人ならこう思うというようなことを【常識を】反対にし、親しみ深くお取り扱うのである。この双六のご勝負は、打つはじめなさってしまうと【打つことに夢中になりなさると】、お二人どちらも裸になって、腰に(衣類を)からませなさって、夜中、明け方までお楽しみになる。

「心幼くおはする人にて、~

「心幼くおはする人にて、便なき事もこそいでくれ」と、人はうけ申さざりけり。いみじき御賭物どもこそ侍りけれ。帥殿は古き物どもえもいはぬ、入道殿はあたらしきが興ある、をかしきさまにしなしつつぞ、かたみにとりかはさせ給ひけれど、かやうの事さへ、帥殿は常に負け奉らせ給ひてぞ、まかでさせ給ひける。

「(帥殿は)心が幼くいらっしゃる人であって、不都合なことが発生すると困る」と、(伊周のおつきの)人は(この賭事あそびを)ご承知申し上げなかった。見事な御賭物たちがございました。帥殿は古い物で何とも言えないすばらしい品を、入道殿は新しいが趣きがある品を、(それぞれ)興趣ある様態にしつらえながら、互いに取り交わしなさったけれど、このようなことまでも、帥殿はいつも(道長に)負け申し上げなさって、ご退出なさった。

 

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