花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに (小野小町)

はなのいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに

和歌 (百人一首9)

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

小野小町 『古今和歌集』

歌意

花の色は、色あせてしまったなあ。むなしく長雨が降っていた間に。私自身がむなしく時を過ごし、もの思いにふける間に。

作者

作者は「小野小町」です。六歌仙、三十六歌仙の一人です。現在の秋田県を出自としたようです。

小野たかむらの「娘説」「孫説」などがありますが、くわしいことは不明です。

さて、宮中には「局町つぼねまち」というところがありまして、長屋のように連なっている局を「町」と呼んだようです。そのことから、そこに住む女官を「○○町」と称することがありました。

年若い場合は「小町」とされたのかもしれません。あるいは、小野小町には姉がいて、姉妹で宮仕えしていたという説もあります。もしそうであれば、姉が「小野町」で、妹が「小野小町」と称されたのかもしれません。

ポイント

花の色は

和歌で「花」という場合、通常は「桜」のことです。

「花の色」を、作者自身の容姿の美しさの比喩として、その衰えについて詠んだ歌だと解釈する考えもありますが、「それは深読みしすぎだ」という意見もあります。

収録されている『古今和歌集』においては、花が落ちる歌が並んでいるところに入っていることからも、花が色あせていくことをテーマに詠んだものであり、「花」はあくまでも「花」であると考えるのが自然だという見解です。

たしかに、この歌は後半に掛詞が二重にかけられており、「二通りの文脈」になりますので、さらに「花の色」に「自分の容姿」まで重ねてしまうと、解釈が多様になりすぎてしまうとも言えますね。

うつりにけりな (二句切れ)

動詞「うつる」+完了の助動詞「ぬ」+過去の助動詞「けり」+終助詞「な」です。

花の色をめぐって「うつる」「うつろふ」などという場合、「色を失う」「色あせる」という意味になります。

ここでは、「色あせてしまったなあ」と訳せるといいですね。

「けり」は、いわゆる「気づき」の用法です。

いたづらに

形容動詞「いたづらなり」の連用形です。

「無駄だ・役に立たない・何もすることがない・何もない」とった「状況」を示すこともありますし、そういった状況に対しての「むなしい」という心情を示すこともあります。

ここでは、自然に詠めば後半に係っていきますが、倒置法で「うつりにけりな」に係っているという考え方もあります。

そうすると、「むなしく色あせてしまったなあ」という意味になりますね。

わが身世にふる (掛詞)

「ふる」は「(長雨が)降る」と「(世に)」の掛詞です。

「世に経る」は、「年月が経つ」「月日を過ごす」ということです。

ながめせしまに (掛詞)

名詞「ながめ」+動詞「す」+過去の助動詞「き」+名詞「間」+助詞「に」です。

「ながめ」は、「長雨」「眺め(もの思いにふけること)」掛詞です。

この二重の掛詞により、

① 長雨が降る
② 年月を過ごし、ぼんやりともの思いにふける

という2つの文脈が生まれています。

第三句の「いたづらに」は、このどちらにも係っていく修飾句になっています。