【動詞】ラ行変格活用 ― もともとはすべて「あり」 ―

今日はラ行変格活用について学びましょう。

動詞の【活用の種類】は全部で9つです。

9回に分けて話しますが、最初はいつも「接続」の話をします。

活用形は、「それ自体」を暗記するより先に、たとえば「ず」の直前は「未然形」になる、といった「接続」を覚えたほうがいいです。

主な接続の関係

未然形につく
 ず・む・むず・る・らる・す・さす(助動詞)

連用形につく
 たり・けり・き(助動詞)
 て(接続助詞)
 用言(補助動詞など)

終止形につく
 と・とて(引用をうける助詞)
 句点

連体形につく
 体言(とき・ところ・こと)
 を・に・が(接続助詞)

已然形につく
 ど・ども(接続助詞)

命令形につく
 と・とて(引用をうける助詞) 
 句点


上に示した「接続の関係」は、早い段階で覚えてしまったほうがよいです。

各種の「活用表」を覚えるよりも、先にこちらを覚えてしまいましょう。

「べし」は終止形(ラ変は連体形)につくなど、他にもいろいろありますが、まずは上に示したものを優先して覚えましょう。

ということは、動詞「あり」の下に「ず」があるときは、「あらず」になるから、「あり」の未然形「あら」ということになるんだな。

そうです。

「あり」の場合、「あ」は変化せずに、「り」のところが変化しますね。

「あ」のところを「語幹」といい、「り」のところを「活用語尾」といいます。

並べて書くと、次のようになります。

(例)「あり」の活用表

【語幹】| 未然形 / 連用形 / 終止形 / 連体形 / 已然形 / 命令形
 あ  |  ら     り     り     る     れ     れ

ふむふむ。

学校の教科書みたいに書くと、次のようになります。

 あ 語
   幹
ーーー
 ら 未
   然
ーーー
 り 連
   用
ーーー
 り 終
   止
ーーー
 る 連
   体
ーーー
 れ 已
   然
ーーー
 れ 命
   令

「四段活用」と違うのは、「終止形」だけなんだな。

はい。

「ラ行変格活用」は、「終止形」以外は四段活用と同じですね。

「ラ変」は「あり」「をり」「はべり」「いますがり」の4つ

ほかに、「をり」「はべり」「いますがり」がありますが、それぞれ、次のような過程で一語化しています。

る」+「あり」 ⇒ 「居あり」 ⇒ 「をり」

ふ」+「あり」 ⇒ 「はひあり」 ⇒ 「はべり」

います」+「」+「あり」 ⇒ 「いますがり」


「いますがり」は、「いますかり」「いまそがり」「いまそかり」という書き方もします。

ぜんぶ「あり」じゃないか!

ということは、もともとは「あり」だけが、終止形が「u段」にならない動詞だったんだな。

どうしてなんだろうね。

不思議だね。

具体的な「動作」ではなくて、「存在している」という「状態」を示していますから、もともと他の動詞とは性格が違ったのかもしれませんね。

気配とか雰囲気とかもすべて「あり」と言えますから、「状態」というのも適切ではないかもしれません。もっと漠然とした「存在そのもの」を示すのが「あり」です。

ああ~。

たしかに「動き」ではないもんな。

英語でも、「be動詞」と「一般動詞」は、性質が違うもんな。

I am a TOGOKU BUSHI. (おれは東国武士)

You are a member of HEIKE. (あなたは平家の一門)

To be, or not to be, that is the question.

(このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。)

意味のベースが「存在する」ということで、訳としては、幅の広い訳し方をしますね。訳出されないこともあります。そういう点で、動詞「あり」と、英語の「Be動詞」は、似ている性質がありますね。

「あり」は何にでもなる。

たとえば、断定の助動詞「なり」は、「体言」+「に」+「あり」の「にあり」の部分がつまったものです。

「状態や性質を示すことば」+「に」+「あり」は、そのすべてを一語の形容動詞と考えるというルールもあったな。

「形容動詞」という品詞そのものを認めない考え方もありますが、学校で習う文法では、「形容動詞」として学びますね。

ちょっと話変わっちゃうんだけど、たとえば、形容動詞「豊かなり」の「豊か」を「体言(名詞)」って考えちゃだめなの?

ああ~。

「豊かなり」「おろかなり」「静かなり」といった「形容動詞」を、

豊か(体言)+なり(断定の助動詞)
おろか(体言)+なり(断定の助動詞)
静か(体言)+なり(断定の助動詞)

って考えてもいいような気がするよな。

実際にそう考える立場もあります。

ただ、別の観点から言うと、「名詞(体言)」はあくまでも「事物や現象」の「名称」であって、何かの「状態」や「性質」を意味するわけではない、という考え方があります。

たとえば、「わるお」という名前でも、たいへん良い人っているかもしれませんよね。

「わるお」という名前は、その人物が「悪い」ことを意味しているわけではないということだな。

もちろん、「名付けられた時点」では、ものの特徴などが反映されるケースは多いでしょうけれども、「名詞」として運用されるということは、「それを呼ぶための名称」としてのみ機能するということなんですね。

「美しヶ丘公園」にゴミがたくさん落ちているとか、「ほのぼのストリート」が殺伐としているとか、ありうるからな。

そうですよね。「名詞(体言)」というものは、あくまでも「名称」であって、何かの状態や性質を形容するものではありません

その点で、「形容動詞」の語幹の部分を「名詞(体言)」とみなさないほうがいい、と考える立場があるのです。

たとえば、「静かに暮らす」の「静かに」とか、「かの国、豊かなりけり」の「豊かなり」とかは、実際に何事かを「形容」していますので、「豊か」や「静か」を「名詞」とは考えないほうがいいということなのですね。