あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
和歌 (百人一首7)
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
安倍仲麿『古今和歌集』
歌意
大きく広がる空をふり仰いではるか遠くを見ると、(そこに見える月は、)かつて見た春日にある三笠山に出ていた月なのだなあ。
作者
作者は「阿倍仲麻呂(仲麿)」です。「安倍」と書くこともあり、百人一首では「安倍」になっています。
遣唐使として唐に渡った人で、唐の代表的歌人である李白や王維とも交流がありました。
この歌は、日本に帰国する際に、送別会で詠んだ歌とされています。なお、その「帰国の船」の「第一船」に仲麻呂が乗り、「第二船」には「鑑真」が、「第三船」には「吉備真備」が乗りました。
日本史の教科書太字集団じゃないか!
仲麻呂の乗った第一船は遭難し、いまのベトナムのあたりに漂着してしまいました。
そのとき、仲麻呂が死んだいう誤報を受けた李白は、追悼の詩を作ったほどです。
しかし、仲麻呂は無事で、結果的に唐に戻りました。そのまま日本に帰国することなく没したといわれています。
このときの「別れの宴」の場面は、『今昔物語集』にありますよ。
ポイント
天の原
「原」は、「大きく広がっている」ということです。そのことから、「天の原」は、「大きく広がっている空」「大空」などという意味になります。
ふりさけ見れば
「振り放く」は、「遠くを仰ぐ」という意味になります。
「見れば」は、「已然形+ば」なので、確定条件です。
「はるか向こうを仰ぎ見ると」などと訳します。
春日なる
「春日」は、いまの奈良公園から春日大社のあたりです。
遣唐使が出発する際には、ここで無事を祈願したとされています。
「なる」は、「存在・所在」の助動詞「なり」の連体形です。
「断定」の助動詞「なり」と同じものですが、「にある」という所在地などを示す場合には、「存在・所在」の意味となります。
三笠の山に
平城京から見ると、春日神社の後方に「若草山」「高円山」という山がありまして、その間にある円錐状の山を指しています。「御蓋山」とも言います。
現「若草山」も、一時期「三笠山」と呼ばれていましたが、この歌の「三笠の山」は、現「若草山」の南側にある「御蓋山」のことでしょう。
春日大社の真後ろにあるのはこの山であり、遣唐使の無事を祈る祭礼は、この山のふもとで行われているからです。
出でし月かも
「し」は、過去の助動詞「き」の連体形です。
「かも」は、詠嘆の終助詞で、「だなあ」などと訳します。奈良時代によく使用されました。
いま眼前にある「唐の月」と、かつて日本で見た「三笠の山に出ていた月」を重ね合わせているのでしょうね。