田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ (山部赤人)

たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

和歌 (百人一首3)

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

山部赤人 『新古今和歌集』

歌意

田子の浦に出てみると、真っ白な富士の高嶺にしきりに雪が降っているよ【降り積もっているよ】。

作者

作者は「山部赤人やまべのあかひと」です。奈良時代の初期、柿本人麻呂かきのもとのひとまろの少しあとに活躍した宮廷歌人と言われます。

三十六歌仙の一人です。

『新古今和歌集』では「山辺赤人」と表記されています。「山辺」は、中世では「やまのべ」と読まれていたようです。

ポイント

田子の浦に

「田子の浦」は、「駿河の国」の「歌枕」です。

『万葉集』では「田子の浦」です。

田子の浦 うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

万葉集

「ゆ」は「新古今」の時代には使用されていないので、「に」に変えたのでしょうね。

「ゆ」だと「田子の浦を通って見晴らしのよいところに出ると」という感じですが、「に」だと、文字通り「田子の浦に出ると」ということになります。

そうすると、「田子の浦」という地名そのものが、万葉と新古今の時代で異なるところを指している可能性もあります。

古代の「田子の浦」は、静岡県清水市興津町のあたりから、由比、蒲原付近の海岸のどこかと言われています。現在の田子の浦よりも南西のほうです。

江戸時代の歌川広重の絵には、興津のあたりから富士を臨む風景に「田子の浦」と書いてありますから、近世に入っても興津→由比→蒲原の海岸線を「田子の浦」と呼んでいたことになります。

ただ、阿仏尼の「十六夜日記」には、次のような記述があります。

二十七日。明けはなれてのち富士川渡る。(中略)田子の浦にうち出づ。

京都から鎌倉に向かっているので、富士川の東側を「田子の浦」と呼んでいることになります。

ということは、新古今の時代には、「現在の田子の浦」のことも「田子の浦」と称していることになりますね。

ってことは、『万葉集』の「田子の浦」は、いまの「田子の浦」とは違う場所で、『新古今和歌集』での「田子の浦」は、いまの「田子の浦」を言っているかもしれないんだな。

そのへんは、資料が多くないのでなかなか結論が出ないところです。

興津のあたりから東に行って、富士川を越えて、今の「田子の浦」に至るまで、けっこう長いエリアの複数の地点を「田子の浦」と呼んでいる資料がありますので、山部赤人がどこで詠んだのかというのを推論していくのはけっこう難しいですね。

興津を少し行くと、薩埵さった峠というところがありまして、その峠からだと富士山がよく見えますので、赤人の歌はその峠で詠まれたのではないかという説もあります。

グーグルアースより

こ、これは、ここで詠んだと思いたくなるよ!

そのまま東に進むと、富士山は再び見えにくくなります。

グーグルアースより

これは少々見えにくいね。

もっと東に進んで、富士川を越えると、現在の田子の浦になります。

グーグルアースより

ああ~。

かなり開けていて、富士山が裾野までばっちり見えるね。

そんなわけで、山部赤人がこの歌を詠んだ場所については、「薩埵さった峠説」もあれば、「もっと東(つまり、いまの田子の浦に近い)説」もあれば、「船に乗って海から詠んだ説」もあれば、「そもそも実際には行っていなくてイメージで詠んだだけだ説」など、とにかくいろいろあります。

うち出でて見れば

うち

「うち」は接頭語です。

接頭語は特に訳出しない場合が多く、ここも意味を当てはめなくても大丈夫です。

ただ、「うち」のニュアンスについては、「手をパチンと叩くイメージ」を持っておくとよいと思います。

◆突然(ぱっと)
◆大胆(ぱあっと)
◆瞬間的(ふっと・ちょっと)

など、細かいニュアンスがこもっていますので、選択肢問題などでは、文脈に応じて訳出されていることがあります。

たとえば「うち笑ふ」だと、「にっこり笑う」と訳すこともありますし、「ふっと笑う」と訳すこともあります。

ここでの「うち出でて」は、視界が開ける場所にパッと出た印象がありますね。

ば 接続助詞

「見れば」は、「見る」の已然形+「ば」です。

已然形についている「ば」なので、「確定条件」と考え、「見ると」などと訳します。

白妙の

「白妙の」という表現は、「白い雪におおわれた富士」を意味しています。

「白妙の」を、「富士の高嶺」の「枕詞」と考える説もあります。

ただ、「白妙の」は、普通は「衣」関係のことばに係るので、これを枕詞と考えない立場もあります。「雪におおわれた富士」を白い布に喩えているような使い方です。

なお、「白妙の」の部分は、万葉集では「真白にぞ」です。

「真白にぞ」は万葉調の「直球な表現」ですが、それを「白妙の」とすることで、「白い布をかぶせたような富士山」という感じの、比喩っぽい表現になりますね。

富士の高嶺に

「嶺」は山頂のほうを意味することばです。

いまでも「富士山」といえば、山頂のほうが雪で覆われている様子が一般的なイメージですね。

雪は降りつつ

「つつ」は、「動作の反復・継続」を表す接続助詞です。

この場合は「降り続いている」という意味合いですね。

でも、海岸線とか、海のほうから、富士山の山頂に雪が降っているのが見えるって、すごい視力だよね。

古文の場合、「雪が降る」という表現が、「まさにいま空から降っている」という運動を指していることだけでなく、「雪が積もっている」という地面のほうを言っていることがけっこうあります。

ここでも、山頂に「降り積もっている」と言っているのではないでしょうか。

「白妙の」という語が、通常であれば「白い布」などに係っていく枕詞になることを考えると、「富士山頂をおおっている積雪」を印象深く詠んでいるといえます。

あるいは、シーツを被せたようになっている富士山を見て、「まさに今降り続いている」という想像をはたらかせて詠んでいるのかもしれません。