住の江の 岸による波 よるさへや 夢の通ひ路 人めよくらむ (藤原敏行朝臣)

すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ

和歌 (百人一首18)

すみの 岸による波 よるさへや ゆめかよ ひとめよくらむ

藤原敏行朝臣 『古今和歌集』

歌意

住の江の岸に寄る波の「よる」ではないが、夜までも夢の通い路をあなたが通って来ないのは【私たちが逢えないのは】、あなたが人目を避けているからだろうか。

作者

作者は「藤原敏行としゆき」です。三十六歌仙の一人です。妻は「在原業平」の妻の妹です。

和歌だけではなく書にもすぐれました。書の達人といえば、三筆(嵯峨さが天皇・橘逸勢たちばなのはやなり空海くうかいが有名ですが、後に小野道風は、古今最高の書家として「空海」と「藤原敏行」の名を挙げたといいます。

字がうまかったんだね。

古今和歌集の詞書には、「寛平くわんぴやう御時おほんとききさいみや歌合うたあはせの歌」とあります。

「寛平」は宇多天皇ー醍醐天皇の時代の年号です。889年から898年の元号で、この期間に遣唐使が廃止されました。

「后の宮」は宇多天皇の母(光孝天皇の后)である班子はんし女王のことで、「寛平御時后宮歌合」はこの方の邸で開催されました。

その時に詠んだ歌ということは、相当気合が入っていた歌だろうね。

何しろ宇多天皇の母の邸で催されている会ですからね。

ポイント

住の江の

「住の江」は、現在の大阪府住吉区の海岸です。

松の名所で、「松」を「待つ」に掛けて詠まれることが多い地域です。

この歌では「まつ」ということばは出てきませんが、内容的には「相手を待つ心持ち」が詠まれているので、「住の江といったら、誰かを待つ歌かな」ということが連想されるような文化的背景はあるでしょうね。

岸による波

ここまでが、第三句の「よる」を導く「序詞」になっています。

よるさへや

「よる」は、「夜」ということですが、第二句にあった「寄る」の意味と掛けられています。その意味で「よる」は「掛詞」ですね。

「さへ」は「添加・類推・最小限」などを意味する副助詞です。

ここでは、「昼に逢えないばかりでなく、夜までも逢えない」ということを意味しています。

昼ばかりでなく、夜までも、夢の通い路を通って会いに来ない

っていう感じかな。

そして、「や」は、疑問・反語の係助詞です。ここでは、相手に問うているような使い方になっているので、「疑問」と考えます。

夢の通い路

夢の中で会いにいく通路ということですね。

当時の慣習を考えると、「通い路」を通ってくるのは「男」の役割になります。

ああ~。

貴族社会では、男のほうから女の家に来るのが普通なんだよね。

そうですね。

結婚したあとも、男が会いたいときに女の家に通うのが普通でした。

あれ?

でもそうすると、この歌の作者は「男」の人だから、「どうして俺は夢の通ひ路で人目を避けているんだろう?」っていう歌になるんじゃないの?

自分の行動について自分でわからないということ?

そう解釈する説もあります。

ただ、和歌の状況設定は自由ですから、この場合「藤原敏行が女性のつもりになって詠んだ歌だ」と考えることもできます。いわゆる女性仮託ですね。

ああ~。

紀貫之の『土佐日記』とかも女性仮託だったね。

そうですね。

特にこの和歌に関しては、「歌合」の場で作られているものですから、「切実な思いを和歌にする」というものではなく、創作的な状況設定を持ち込んだり、テクニックを適度に盛り込んだりして、みんなで「へえおもしろい」などと楽しんだのでしょうね。

人めよくらむ

「人目」く」「らむ」です。

く」は、漢字のとおり「よける・さける」の意味です。

「らむ」は「現在推量」の助動詞です。上に係助詞の「や」があるので、結びとして連体形になっています。

ここでは「夢の通い路をあなたが通って来ない(会いに来ない)」という「事実」があり、その原因を推量している使い方なので、「現在の原因推量」と考えるほうが自然ですね。