『今昔物語集』より「あまのはらふりさけみれば」の現代語訳です。
今は昔、~
今は昔、安倍仲麿といふ人有りけり。遣唐使として物を習はしめむがために、かの国に渡りけり。
今は昔【今となっては昔のことだが】、安倍仲麿【阿倍仲麻呂】という人がいた。
数たの年を経て、~
数たの年を経て、え返り来ざりけるに、またこの国より藤原清河といふ人、遣唐使として行きたりけるが、返り来けるに伴ひて返りなむとて、明州といふところの海の辺にて、かの国の人はなむけしけるに、夜になりて、月のいみじく明かりけるを見て、はかなき事につけても、この国のこと思ひ出でられつつ、恋しく悲しく思ひければ、この国の方をながめて、かくなむ詠みける。
遣唐使として(日本が)物を習わせようとするために、あの国【唐】に渡った。幾年もの年を経て、(日本に)帰ってくることができずにいたところに、またこの国【日本】から藤原清河という人が、遣唐使として(唐に)行ったが、(清河が日本に)帰国するのに伴って(仲麿も)きっと帰ろうといって、明州という所の海辺で、かの国【唐】の人が送別会をした際に、夜になって、月がたいそう明るかったのを見て、ちょっとした事につけても、この国【日本】のことが自然と思い出されて、恋しく悲しく思ったので、この国【日本】の方を眺めて、このように読んだ。
あまのはら ~
あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさの山に いでしつきかも
といひてなむ泣きける。
天を仰ぎ見ると、月が明るい。あの月は、(故郷の)春日にある三笠山に出ていた(なつかしい)月なのだなあ。
と言って泣いた。
これは、~
これは、仲磨、この国に返りて語りけるを聞きて語り伝へたるとや。
これは、仲磨がこの国【日本】に帰って語ったのを聞いて、語り伝えたものだとか。
歴史的には、仲麻呂の乗った船は漂流してしまい、いまのベトナムのあたりに流れ着いて、その後、再び唐に戻っています。そのまま生涯帰国することはかなわなかったとされています。
したがって、最後の「仲磨が日本に帰って語った」というのは、史実とは異なっています。
ただ、そうすると、このエピソードそのものは、いったい誰が日本に伝えたんだろう、という謎が残りますね……。
「他の人が伝えたんだろう」とか、「紀貫之の創作なんじゃないか」とか、「実は本当に一度帰ってきてたんじゃないか」とか、いろいろな説がありますね。
仲麿の詠んだ歌は、百人一首のひとつになっているね。