天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ (僧正遍照)

あまつかぜ くものかよひぢ ふきとぢよ をとめのすがた しばしとどめむ

和歌 (百人一首12)

天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ

僧正遍照 『古今和歌集』

歌意

空を吹く風よ、雲のなかの通り路を 吹き閉じておくれ。美しい舞姫の姿を、もう少しの間ここに【地上に】とどめよう。

作者

作者は「僧正遍照そうじょうへんじょう(遍昭)」です。俗名は「良岑宗貞よしみねのむねさだ」です。

六歌仙、三十六歌仙の一人です。

仁明にんみょう天皇の時代に、蔵人頭くろうどのとうに任ぜられるなど、順調に出世していましたが、仁明天皇の崩御に伴い、出家しました。円仁、ついで円珍に師事し、やがて僧正(僧や尼を統括する官職)となりました。

世俗の世界でも、仏教界でも、けっこうなポジションにいたのだな。

それだけ周囲からの信任が厚い人だったのでしょうね。

気づいたらそうなってた。

ポイント

天つ風

「つ」は、上代の助詞で、「の」の意味になります。

「空の風」に呼びかけていることになるので、「空を吹く風よ」などと訳します。

雲の通ひ路

「雲のなかの通り路」ということです。

『古今和歌集』の詞書には、五節ごせちの舞姫を見て詠める」とあります。

霜月(11月)の新嘗祭にいなめさいにおいて、公卿などの未婚の娘たちが舞うのが「五節の舞」です。たいていは4人で舞うのですが、天皇の即位後最初の新嘗祭は大嘗祭だいじょうさい(大嘗会)」と言いまして、5人で舞ったようです。

それを見に来る貴族たちの衣装も、たいへん華やかできらびやかであったようですね。

さて、この「五節の舞」については、天武天皇の時代に、吉野に天女が降りてきて、袖を5度降って舞ったという伝承があります。

その伝承をふまえると、「雲の通ひ路」というのは、天女が行き来するルートということになります。

吹きとぢよ (三句切れ)

「雲の通ひ路」を「吹きちらして(風の力で)閉じちゃってね」と言っているのですね。

天女帰れないじゃん。

帰れなくして、しばらく地上にいさせよう、ということなのですね。

お、おう。

をとめの姿

「五節の舞」の舞姫たちを、天女に見立てているのだな。

「をとめ」の「をと」は、「をつ」と同根のことばと言われています。

つ」は、「若返る」ということであり、「若々しくて生命力にあふれている」という意味を持ちます。そのことから、「をとめ」は、「若々しい女性」を意味します。

しばしとどめむ

「む」は「意志」の助動詞「む」の終止形です。

「しばらく地上に足止めしよう」ということです。