これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸)

これやこの ゆくもかへるも わかれては しるもしらぬも あふさかのせき

和歌 (百人一首10)

これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂あふさかの関

蝉丸 『後撰和歌集』

歌意

これがあの、(東国へ)行く人も(都へ)帰る人も、知っている人も知らない人も、別れてはまた出会うという、逢坂の関なのだよ。

作者

作者は「蝉丸」です。

この歌にある「逢坂の関」に庵をむすび、この歌を詠んだとされています。

盲目の琵琶の名手であったとか、管絃の名手であった源博雅ひろまさに琵琶の秘曲を授けたとか、様々な逸話があります。

『後撰和歌集』の詞書には、「逢坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに、行きかふ人を見て」とありますが、『今昔物語集』には、「盲目になったので逢坂に住んだ」とあります。

ポイント

これやこの

「これこそあの」「これがまあ」といった意味になります。

いまでも、探しているものを発見した時とかに、「これだこれ!」とか「これこれ!」なんて言うよね。

けっこう近いニュアンスだと思います。

実際に逢坂の関を目の当たりにしながら、「これこそが例のあれ」という意味合いで使用している語句ですね。

行くも帰るも

当時、「逢坂の関」は、都から東国に向かう際の「見送る場所」になっていました。

したがって、ここで「行く」というのは、「東国に行く」ということです。

「帰る」というのは、「見送り」に来て、ここで都に引き返す人を意味しています。

別れては

「ては」は、接続助詞「て」+係助詞「は」です。

【状態の強調】 ~ては

【順接確定条件】 ~ので
【恒常条件】 ~するときまって
【順接仮定条件】 ~たら/~なら
【動作の反復】 ~たかと思うとまた/~してはそのたび

など、文脈に応じた訳し方をします。

ここでは、「誰かが別れたかと思うとまた誰かが出会う」「誰かが別れてはそのたび(別の)誰かが出会う」といった文脈ですので、【動作の反復】が近いですね。

『後撰和歌集』では、「別れつつ」になっていますね。

「つつ」は、「反復」「継続」「動作の平行」などを示しますから、やはり、「誰かが別れてはまた誰かが出会う」といった意味になりますね。

知るも知らぬも 

「知る」「知らぬ」のあとに、「人」が省略されています。

「行くも帰るも」と、「知るも知らぬも」が、同じリズムになっていて、「対句」のはたらきをしています。

「も」がたくさん出てくるのも、音が重ねっていて小気味いいね。

逢坂の関 (掛詞)

「知っている人も知らない人もここで会う」という意味の「会う」が、「逢坂の関」の「逢」に重ねられています。

地名と動作をかけた「掛詞」ですね。

「逢坂の関」は、山城国と近江国の国境の関です。

都から東国に行く場合、東海道に入るにしても、東山道(いまの中山道)に入るにしても、「逢坂の関」を越える必要があります。

地図の真ん中あたりが「逢坂の関」です。

下の地図で言うと、「大谷駅」の少し東のあたりです。

まさにここが、「見送りの場所」だったわけですね。

あるいは、「初めまして」の場所でもありましたし、見知らぬ者同士が邂逅する接点としての場所でした。

そういった、たくさんの人間たちの、たくさんの別れと出会いをじかに見届けているような歌になっています。