春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山 (持統天皇)

はるすぎて なつきにけらし しろたへの ころもほすてふ あまのかぐやま

和歌 (百人一首2)

春過ぎて 夏来にけらし 白妙しろたへの 衣干すてふ あま香久山かぐやま

持統天皇 『新古今和歌集』

歌意

いつのまにか春が過ぎて、夏が来たらしい。夏になると真っ白な衣を干すという、天の香久山に。

『万葉集』では、

春過ぎて 夏たるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山

でした。

その場合は、「真っ白な衣を干している 天の香具山に」と訳すことになります。眼前の景色を直情的に詠んでいる印象です。

『新古今和歌集』では、伝聞のような表現になっており、『万葉集』に比べると観念的な歌になっていると言われます。

作者

作者は「持統天皇」です。

天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后でした。

天武天皇の崩御後に即位し、都を藤原京に遷都しました。

ポイント

春過ぎて

「春」と書いてありますが、「過ぎて」いますので、「夏」の歌です。

夏来にけらし

「に」は、「完了」の助動詞「ぬ」の連用形です。

「けらし」は、「けるらし」がつまったものです。

けり

「ける」は、助動詞「けり」の連体形です。

「過去」の助動詞ですけれども、「すでに来ていたことに今気がついた」ということで、いわゆる「気づき」の「けり」とも言えますね。

らし

「らし」は、「推定」の助動詞「らし」の終止形です。

「推定」というのは、「根拠のある推量」のことです。

ここでは、「天の香久山に衣を干す」という状況を根拠として、「ということは、夏が来たらしい!」と思っていることになります。

ただ、百人一首のほうでは「衣干すてふ(衣を干すという)」となっていることから、眼前に衣が見えたかどうかはわかりません。

白妙の

「白妙の」は、「衣」「袂」「袖」「帯」「紐」など、衣服にまつわる語に係っていく枕詞です。この歌では、「衣」の枕詞です。

カジやコウゾなどの木の皮の繊維で織った布のことを「栲(たへ)」と言いまして、白栲しろたへの」という書き方もあります。

枕詞は訳出しないことも多いのですが、ここは「真っ白な」「白い」などと訳しておきましょう。

なお、ここでの「白い衣」は、神事にまつわる衣を指すと言われています。神聖な衣を、神聖な山に干したのですね。

衣干すてふ

「てふ」は、「といふ」がつまったものです。

もともと「夏になると天の香久山に白い布を干す」と言われていてるということですね。

「いま目の前に白い布がたなびいているぞ」と言っているわけではないところがオシャレだよね。

「夏になると白い布を干すという天の香具山に(白い布が干されているよ)」というように、実際の風景を喚起させようとする意図があるのかもしれません。

あるいは、万葉から新古今に時代が下るうちに、その風習自体がなくなっていて、「実際には干していないのだけれども、干してあるイメージを詠んでいる」ということかもしれません。

天の香具山

藤原京の東側に位置する山です。

畝傍うねび山、耳成みみなし山とともに大和三山と呼ばれます。

地図の真ん中の「藤原京」から見て、北にあるのが「耳成山」、西南にあるのが「畝傍山」、東にあるのが「天香具山」です。

「天香具山」は、藤原京から見ると太陽の昇る方角にあるため、太陽信仰を象徴する山であったとされています。