秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ (天智天皇)

あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ

和歌 (百人一首1)

秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ

天智天皇 『後撰和歌集』

歌意

秋の田のほとりの仮小屋に(刈り取った稲穂を守るために)泊っていると、その苫(の網目)が荒いので、私の衣の袖は、(すき間から漏れる)夜露にしきりに濡れることだ。

作者

天智天皇が農民の労苦を思いやって詠んだとされています。

中大兄皇子だった人だな。

そうです。

中臣鎌足とタッグを組んで、645年に蘇我入鹿を滅ぼし、大化の改新を始めました。しばらくは皇太子のままで政治を進めましたが、663年に近江大津宮に遷都し、正式に即位しました。

なお、この和歌にかんしては、『万葉集』に次の歌があります。

秋田刈る 仮庵を作り 我が居れば 衣手寒く 露ぞ置きにける

こちらは「詠み人知らず」であり、農民たち自身の労働歌であろうと思われます。

『万葉集』にすでにベースがあったわけだな。

語り伝えられていく中で言い回しが変わっていって、作者も天智天皇にしておこうとされていったのかな。

『後撰和歌集』に入る際に、平安好みに改作して、天皇御製としたのかもしれませんね。

ポイント

秋の田の

「秋」ということは、収穫の季節ですね。

かりほの庵の

「かりほ」は、「仮庵」と「刈り穂」の「掛詞」です。

「かりいほ」の「い」が抜けていることと、直後に「庵」が繰り返されることから、「掛詞ではない」という考え方もあります。

いほ」は、「仮小屋」のことです。

苫をあらみ 

とまは、ちがやなどの草を編んでまとめたもので、小屋の屋根などを葺いて用いたものです。


この歌では、その編み方の目が荒く、雨露が漏れてきてしまっているのですね。

「~を…み」は、「~が…ので」と訳します。

くわしくはこちら。

我が衣手は

「衣手」は「袖」のことです。

露に濡れつつ 

「つつ」は、反復・継続を示す接続助詞です。

和歌ではよく文末に用いられます。

その場合、文法上は後ろに続くはずの「何か」が省略されていることになりますので、「ことばにしなかった何かがあるのかな」という余情を感じさせることになります。

「つつ止め」などと言いまして、余情・詠嘆の用法です。

「何度も~して」「たびたび~して」などと訳すことが多いですね。

ああ~。

現在のJ-POPで言えば、「ああ今日もたそがれの街を歩きながら~」とかでサビが終わる感じかな。

まさにそんな感じです。