らし 助動詞

「推定」は「根拠のある推量」

意味

(1)【推定】 ~らしい・~ようだ・~にちがいない

ポイント

動詞「あり」に「し」がついて、「あらし」という形容詞になり、「存在する状態だ・様子だ」ということを示しました。それが助動詞化していく過程で、「あ」が取れて「らし」になっていったと考えられています。

「まし」のところで、いったん「し」がついて形容詞化すると、概念化されるなんて言ってたな。

そうですね。

「あり」は、「現実的・具体的・限定的」に「存在する」ということですが、「あらし」となると、その「現実性・具体性・限定性」がぼやけてしまいます。そのことから、「実際にそうである!」というわけではなく、「そうであるようだ・そうであるに違いない」というニュアンスになります。

ただ、「らし」は、適当に的外れなことを言うのではなく、ある根拠を持って、何らかの現象が「あるにちがいない」と推定するときに用いられました。

なお、平安時代には、「現在推量」の「らむ」や、「(視覚)推定」の「めり」を多く用いるようになっていったことから、「らし」は、和歌特有のことばになっていき、鎌倉時代以降はほとんど使われなくなりました。

にもかかわらず、現代語では、ほぼ同じ意味の「らしい」があるのが不思議だね。

ああ~。

たしかにそうですね。

例文

この川にもみぢ葉流る奥山のゆきげの水ぞ今まさるらし(古今和歌集)

(訳)この川に紅葉の葉が流れる。山の奥の雪どけの水が、いま多くなっているらしい【増えているに違いない】。

「もみぢ葉」が流れている事実を根拠にして、「奥山(川の上流)では、雪どけ水が増えているようだ」と推定していることになります。

いにしへの 七のさかしき 人たちも 欲りせしものは 酒にしあるらし (万葉集)

(訳)その昔、七人の賢い人たち【竹林の七賢】が欲しがったものは、酒であるらしい

これを詠んだのは、大の酒好きである大伴旅人です。

「竹林の七賢」は、中国の晋代に、俗世間を避け、竹林で酒を飲みながら清談を交わしたとされる賢者たちです。

和歌のなかに「根拠」は書かれていませんが、「竹林の七賢」に対する「知識」を根拠にして、「酒を欲しがったらしいよ」と詠んでいるのですね。

「こんなに美味しいお酒を嫌いな人がいるはずがないよ」っていう「自分の気持ち」を根拠にして、「きっと竹林の七賢も酒が好きにちがいないよ!」って言っているのかと思ったよ。

まあそれもあるかもしれません。

なんせ、旅人は、次のような歌も詠んでいるくらいですからね。

なかなかに人とあらずは酒壺に成りてしかも酒に染みなむ
(中途半端に人でいないで酒壺に成ってしまいたい。そうすれば酒にたっぷり浸ることができるなあ)

こりゃあ、筋金入りだぞ……。